ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-12-08 06:14

「淳風院様のこと」—西村宣子大奥様が淳風院様との思い出をご回想

 私、お話しするのは、本当に上手でないので、苦手なのですが、今日は淳風院様に」お仕えして二十七年間、何も出来ない私を仕込んで頂きました事をお伝えできればと思います。特にご宝前のお花の入れ方など、どのようなことも、とても良く出来るお方でしたから。その中から少しお話しさせていただきます。
 
 私は、東京から二十一歳で、清風寺へ嫁いでまいりました。何もかも、本当に大変な修行だったのですが、特にご宝前のお花の事は、淳風院様から、心を込めてさせていただくことを厳しく教えて頂きました。
 
焼け野原の中の仮本堂から
 
 私がこちらに参りました時は戦後で、焼け野原に、ポツンと清風寺の仮本堂(十八坪)が建っていました。大阪駅まで全部がずーっと見渡せるようなところで、的場さんが道の向側に、小屋みたいに建てられていました。大阪駅までの、途中に「馬の水飲み場」があるようなそんな時代で、本当に、何もない焼け野原でした。
 
御佛飯のご利益
 
 そのような時代ですから、ほんとに何もなくて、お佛飯もあげられなかったのです。その時、的場歌子さん(滋朗さんのお母様)が……
 

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