ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-06-10 06:25

6月10日の「毎日ぶっきょう」

「ありがとう」という言葉は、単に感謝の思いを伝えるだけの言葉ではありません。本当の意味を知るには「ありがとう」を漢字に変換するとわかりやすいと思います。「有り難う」つまり「有り難(がた)い」「有ることが難(むずか)しい」ということであり、滅多(めった)にない、非常に稀(まれ)なこと、レアなケースだという意味になります。その自覚があるからこそ、自然と感謝の思いがわいて「ありがとう」と言えるのです。

 

では「ありがとう」と正反対の言葉、感謝とは正反対の態度とは何でしょうか?それは「あたりまえ」という言葉であり、現況を「当然だ」とする傲慢な態度です。よって、私達が生きていく上で「あたりまえ」だと思うことが増えれば増えるほど、有り難い身の上であることを忘れ、感謝の思いは薄れ、傲慢な態度になっていきます。すると、どうしても不平不満の思いが募りやすく、グチや泣き言が増えていくのです。

 

なぜ、そうなるのか?と言えば、それは「心を亡くしている」からです。【忙しい】という漢字は《心》と《亡》とが組み合わさってできています。【忘れる】という漢字も《心》と《亡》とが組み合わさってできています。そうやって心を亡くすと、自分の原点である【因】に気づけなくなります。《心》が有れば、自分を形作る《因》は【恩】であることがわかるのです。

 

そう思うと、お寺にお参りする、仏教を信仰する、ご信心させていただくということは亡くしかけている自分の心を取り戻す、亡くしてしまった心を蘇らせるということです。どうして、そこまでして仏教は【恩】ということを大きく取り上げ、その重要性を説くのか。それは自分の人生、その事の始まりは様々な【恩】であい、無数の【恩】によるからです。何一つ「あたりまえ」ではなく、全てが「有り難い」からこそ「ありがとう」なのです。

 
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