ほんもんぶつりゅうしゅう
2017年08月01日
東日本大震災 被災地管見記③ 6年過ぎたが今後の支援が肝心 佛立新聞編集長 橋口清遠
大丈夫? 富岡町
富岡町でも4月1日から「避難指示解除準備区域」「居住制限区域」について避難指示が解除となり、住民の帰還が可能となった。我々が汚染土中間管理施設付近の放射線量の高さに驚きを禁じ得ないまま、再びワゴン車で移動中、ちょうど町役場と警察署の隣を通ったのだが、翌々日の住民帰還に向けて、職員や署員がたくさん集まり準備に追われているようだった。
しかし、その場面で、しばらくおとなしかったワゴン車内の放射能測定器が、またピー、ピーと鳴り出した。風向きで鳴ったり鳴らなかったりするのだが「ありゃりゃ、さっきの管理施設といい、こんな所でピー、ピーと鳴り出すといい、こりゃホントに大丈夫?」と、またもや町の行く末が思いやられた。
富岡町でも、昨年8月に住民の帰還意向調査を行っているが「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」が16.0%、「まだ判断がつかない」が25.4%、「戻らない
と決めている」が57.6%と、浪江町より、より厳しい目で見ているようで、やはりと言おうか、6月1日現在、住民登録数10,499人の内、帰還した町民は172人という現状である。
 次に我々は富岡駅、そして富岡漁港へ移動した。富岡駅と言っても、まだ駅のえの字もできていない状態であるが、復旧作業は順調に進んでいるということで、今年の10月に富岡~竜田の間で運転が再開されることとなっている。また、富岡~浪江間は2020年春の開通を目指しているそうである。
 新しく富岡駅が建設される場所と富岡漁港の間には、再開発を進めるため、家屋やマンション等の建設も進んでいるが、その中で全面シートに覆われた広大なテントのような建物が目を引いた。何でも汚染土などの仮置き場だそうだ。
そう言えば除染袋が回りに並んでいたが、この仮置き場、実はなくなる目処は立っていないということで、ここでも「ええっ、それで新築した家やマンションに住む人は大丈夫なの?」と、またまた感じてしまった。
駅建設予定地の道路向かいに建っている廃屋の手前の電柱には「東北電力」の看板があった。今回、事故を起こした福島第一原発は、この東北電力のエリア内に建っているが、その電力の供給先は東北とは関係のない東京及びその周辺のエリアである。
であるのに、その原発の事故で「東北だけがこんな被害を蒙った。皮肉なものだよ」と看板を見ながらつぶやいた秋山現信師の言葉が印象的であった。

いわき妙運寺へ
 こうして富岡町に別れを告げ、再び6号線を南下。途中、復旧工事等で道路を迂回しながら、楢葉町、広野町を経ていわき市内へ。津波被害を受けた蟹洗温泉や美空ひばりの歌で塩屋岬を通り、途中、現信師の曰く「墓地があったんだがなあ」という場所に堤防が築かれていたりして、一行は小名浜魚市場へ。
 ここで、いわき・妙運寺局長の森川幸夫さんと落ち合い、現信師のよく知るお食事処「うろこいち」で昼食を摂りながらしばし歓談。森川さんは仕事があり、残念ながらお食事だけでお別れとなったが、我々はそのまま妙運寺へ向かった。
 妙運寺では、内々陣の両祖牌や先師上人方のお位牌が別室で横になられていた。度重なる地震のせいで、いつ倒れられるか分からず、やむなくこうさせていただいているとのこと。
 また事務所の入口や廊下には、ミネラルウォーターが並んでいた。妙運寺を下った所に浄水場があるのだが、その浄水場から、実はセシウムが検出されていたというのである。もちろん、これは公にはされておらず、一応、水道水も安全であると宣言されているが、地元の人は誰一人、信じてはいない。飲み水や料理用など、全てにわたってミネラルウォーターを使わねばならないのだ。
 それもそのはず、妙運寺は宗内では福島第一原発から一番近いお寺なのである。お寺から300メートル先では強い放射能も測定され、またセシウムも測定されている。回りに広がる梨畑の梨やタケノコも、当然、セシウムが含まれており、涙ながらに廃棄処分するしかない。
 また、お寺の真裏にある竹林も大きくお寺に覆い被さろうとしていた。「本当は伐採して燃やせばいいのだけれど、そうするとセシウムが放出されてしまうから、このまま放っておくしかないんだよ」と、あきらめ顔でつぶやく現信師であった。

 最後に
 こうして慌ただしく被災地訪問を終えた。
 月並みな言葉で誠に申し訳ないが「本当に大変なんだ。見ると聞くとは大違い。百聞は一見に如かず」ということを、ひしひしと感じた今回の訪問であった。
 現在、宗門のどの寺院においても超少子高齢化の波をまともに受け、ご弘通ご奉公が難しい時代になっている。いわきのお寺は、それでなくとも原発の影響が大きく、お寺を離れるご信者も続いているという。「このままでは、お寺が無くなる」という強い危機感を、住職・現信師も抱いているのだ。
 今、同心の私たちができることは「大震災からもう6年、七回忌も過ぎたから…」と他人事のように、あるいは過去の出来事のように思うのではなく、大震災からの復興を、殊には被災各寺院・教講の速やかなる復興成就を御宝前にご祈願させていただくこと。そしてできうる限りの支援をコツコツと続けていくことにあろう。
 当紙6月号にも掲載させていただいたが、全国教講からお寄せいただいた東日本大震災の義援金は、総額218,000,000円を超えるご支援を頂戴した。しかし、妙運寺の事例でもお分かりのように、特に原発放射能汚染の被災地では、まだペットボトルの水が手放せない状態である。
 その支援となるワンコインtoワンボトル運動は、引き続き継続中である。なお一層のご支援をお願いさせていただくと共に、ぜひ皆さんの目で実際に被災地の困難を感じていただければと念願し筆を擱(お)くこととする。
                                 (了)