ほんもんぶつりゅうしゅう
2016年11月01日
青年教務会樺太戦没者慰霊ご奉公渡航記2
戦没者回向と世界平和のため 4200基上回る塔婆の申込みありがとうございます。

私は第26期青教本部幹事長、第2支庁南大阪布教区圓妙寺所属・御牧現義と申します。「樺太戦没者慰霊ご奉公」渡航記、第2回目の今回はご奉公の目的と内容、当日までの流れと行程について申し上げます。

●ご奉公の目的と内容
 今回のご奉公は「樺太戦没者」慰霊ご奉公と銘打ち、樺太での戦闘によって命を落とされた民間人のみならず、日ソ両軍兵士の霊魂を、上行所伝の御題目にてご回向をさせていただくため、そして世界恒久平和を祈念し、再び樺太の地に御題目の音声を響かせんがため、赴いた次第です。
 また樺太出発に先立ち「樺太戦没者之諸精霊追善菩提」のお塔婆建立を全国寺院・教会のご信者の皆さまから承りました。そのお志を樺太の地に届けるため、私たち青教のご奉公者が集い、お塔婆を浄書、本行程にて奉修される法要の後に各地に埋めて鎮魂のよすがとするのが目的であります。

●当日までの流れ
 以上のようなことについて整うまで、長い時間を要しました。昨年10月の本支部会議にて第8支部長・大岡信元師から青教本部になされた提案を青教のご奉公とすることが決議されてより、急ぎ「樺太」チームを編成し、毎月渋谷・乗泉寺において会議を開催、必要事項の決定を重ね、問題点を洗いだし、共通認識を構築して参りました。関西のメンバーはほぼ乗り合わせて車での移動でした。
 会議を重ねるごとに、今回の御奉公が大変なものになると感じられました。宿泊やビザ等は旅行会社の方にお任せでしたが、こちらで訪問すべき重要な場所を挙げて旅行会社にお伝えをし、限られた日程の中でまわれるよう調整してもらわねばなりません。
 そのために、歴史を紐解き、どこで何が起こったのか、ご弘通はどうであったか、調べることが多くありました。時には国立国会図書館で樺太日日新聞のマイクロフィルムを閲覧したり、樺太関連の書籍を分担して読んだりいたしました。ご本尊さまは、お花や御供水はどうする、この法要の服装は……と細部にまで検討をして、少しずつ、決定事項を重ねました。
 会議のたびに全国の皆さまからのお塔婆の報告がなされましたが、回を重ねるごとに多くのお志の報告を受けて、有り難いことでした。当初は「千基いくかな。二千基来たらすごいな」などと話しておりましたが、やがて二千基を超えた報告を受けたとき、会議のメンバーは皆思わず拍手をしました。
 大岡師に「樺太にもう一度行ってみたい」と仰った女性信徒の思いが、いつの間にか私たちの共通意識となっていたのを感じました。そのまま四千二百基を上回って迎えた7月27日、お塔婆浄書の当日、神戸・佛立寺では一同心を込めて、興奮のなかで全て浄書させていただいたのでした。

●行程
 8月16日、終戦記念日の翌日、樺太本門佛立講と大変ご縁の深い、夕張・本照寺において夕刻に結団式を挙行いたしました。台風7号の影響により新千歳空港への発着が危ぶまれましたが、どしゃ降りの中なんとかたどり着けたのはお計らいでした。この本照寺を基地として予め買い揃えた備品を大量に配送、受け入れをいただいたので、これらを飛行機の持込制限である一人25kgギリギリまで各自の荷物に分配、最終の準備を整えました。本照寺の宮崎御導師より「台風が君たちを後押ししている」とお言葉を賜りました。この日頂戴しましたカツカレーは大変美味でございました。
 翌17日、新千歳空港に集合、会議室にて樺太有縁の乗泉寺・宮崎お導師のご講義を受けました。ご講義の最後に宮崎お導師はご自分で手書きされた樺太の地図を無言で数秒眺められ、「かつて、70年前に父が必死にご弘通された地に今から行くと思うと……何とも言えない」と、背を向け、絞り出すように仰いました。ご講義を拝聴していた私たちは、宮崎お導師のお父上があの時見た樺太の風景が流れ込んでくるような気がして、「これから、遂に行くんだ!」と思いを馳せたのでした。亡くなった方々に会いに行く。呼ばれているといった感覚とは別に、あの頃ご奉公された先輩に教えてもらいにいくという不思議な感覚です。ご講義のちオーロラ航空にて豊原(ユジノサハリンスク)に無事降り立ちました。
 現地空港にて新谷さんという方と合流いたしました。この方はお若いながらサハリンに住み、お仕事をされている日本人で、ロシア語も堪能。父方母方の両祖母が樺太出身であり、先の戦争の影響を受けたとのことで、その供養になればと今回お仕事のお休みをとられてのご参加でした。
 樺太は、気温は東京の5月頃のようでしたが、湿度はかなり高く、ジメジメした雰囲気でした。その日は真岡(まおか・ホルムスク)ホテルのレストランで一同自己紹介、そのまま翌日のホテル付近での早朝の法要に備えて宿泊となりました。
早朝5時頃に停電、どうやら地域全体規模のようで、サハリンのエネルギー事情を垣間見た気がいたしました。(つづく)