ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年08月01日
ブラジル講有巡教 佛立聖地宝塔開眼法要、盛大に営まれる
〔7/15(水) 関空→ドバイ〕〔7/16(木) ドバイ→サンパウロ〕

19:00に本山本堂においてこの度の講有巡教における無事ご奉公成就、道中安全のお看経を上げられた講有上人は、19:30に本山をご出発。関西国際空港では、夜の9時近くであったにもかかわらず、大勢の教講に見送られる中、日本を出国された。途中、アラブ首長国連邦の大都市、ドバイを経由しサンパウロ入り。関空→ドバイ間は約10時間のフライト、途中ドバイで約4時間のトランジットを終えた後、ドバイ→サンパウロ間は約15時間のフライトという長旅となった。

定刻通り現地時間の16:30にサンパウロ・グアルーリョス国際空港にご到着された講有上人は、この度の講有巡教のためにブラジル教区が新たに購入した専用車に乗車。サンパウロ州警察の先導を受けながら、その足でまずはサンパウロ州の中心道場である日教寺(住職:コレイア日友師)へご参詣され、ブラジル信徒約200人参集のなか、無事安着のお看経を上げられた。その中で講有上人は、「現在のブラジルの御弘通発展にはめざましいものがある。しかし今後の更なる発展のためには、その先頭を走る教務、ベテランのご信者の責任は重大である。謗法を犯し、後ろを走る信徒を間違った方向へと導かないように、常に先頭を走る人間が初心を忘れずに精進しなさい」との激励を下さった。その後ホテルへ向かい、安堵の息をつかれることとなった。


〔7/18(土) サンパウロ→リンス〕

この日は翌日の大宣寺・開導会に向けて、サンパウロからリンスへの移動日。約500kmの片道を、車で約6時間かけての大移動を行った。途中、サービスエリアでブラジル入国後初めてのシュラスコを召し上がっていただき、無事に夕方にはリンスに到着。日本からの団参一行と同じホテルにチェックインしていただいた。夜には大宣寺の御供養として、日本から随伴、参詣した教務一同と、大宣寺の幹部信徒を招いた食事会が開かれ、翌日の開導への団結を図った。


〔7/19(日) 大宣寺・開導会→サンパウロ〕

広大なブラジルの土地を覆い尽くすかのような、見渡す限りの青い空。この度の講有巡教をどれだけの人が楽しみにしていただろうか。待ちに待った講有上人の御来泊、御訪問を祝うかのように、ブラジル根本道場・大宣寺が位置するリンスの大空は、歓迎の模様を現していた。

ホテルをチェックアウトされた講有上人は、まず茨木日水公園をご訪問。最初の日本移民の船に乗り、血と汗を流し、大宣寺を建立されたブラジル弘通の初祖・茨木日水上人の功績を称えて建設された公園である。

大宣寺にご到着された講有上人は、大歓迎のなかその山門をくぐられる。安着のご挨拶のために本堂へまず足を運ばれた講有上人、その際に、この度の講有巡教に合わせて新調された人天蓋が完成披露された。天蓋正面には法華経・提婆達多品第十二の御文、「身心無懈倦」の扁額が埋め込まれている。これは大宣寺住職・斉藤日法導師のご希望で、事前に講有上人にお認めいただいた文字である。身心無懈倦とは、その前の御文「情存妙法故」と合わせ、「情(こころ)に妙法〔優れた教え〕をいただくからこそ、〔師匠仕えをさせていただくなかで〕身心ともに疲れたり、嫌になったり、また怠け怠る気持ちが起こることもなかった」という意。提婆達多品では、釈尊が前世で悟りを得る(成仏を果たす)ために、阿私仙人という師匠に千年もの間お給仕をされたという話しが語られている。長い間師匠のために薪をあつめ、水を汲み、また食べものを供え続けたその修行も、教わる教え(妙法)が有り難いからこそ、全くその修行が嫌になることはなかったという話である。つまり、この扁額には講有上人の大宣寺ご信者(あるいはブラジル教講一同)に対する「『給仕第一』の初心を忘れずに、お給仕に励みなさい。我が取り除かれ、素直に教えを頂くことができれば、自ずとご利益が現れる。そうすれば誠の信心が心に起こる(『信心第二』)。それで初めて御弘通のためにさらに成長しようという研鑽の気持ちが起こるようになる(『学問第三』)。御弘通の根底に常に存在する『給仕第一』の初心を忘れずに、これからも御奉公に励みなさい」との意が込められているのである。

法要の中では、終戦70年目を迎える本年に相応しく「第二次世界大戦戦没者慰霊回向」も行われ、特別祭壇での焼香も行われた。御法門で、講有上人は「われも唱へ人にも唱へさせんとの 心ややがて菩薩なるらん」の御教歌を引かれ、上行所伝の御題目の自行化他にわたる口唱行が、やがて真の平和をもたらし、その佛立菩薩道がいかに素晴らしいかをお説きになられた。

法要終了後には屋外境内地に建立された茨木日水上人御霊廟にてご回向も行われ、最後には同場所で記念撮影。会館へ移動後、婦人会手作りの日本食の御供養が振る舞われた。その後講有上人は旧本堂を使用して建設された「茨木日水上人記念館」をご覧になり、リンスの地を後にされたのであった。


〔7/20(月) サンパウロ→ブラジリア開堂式→サンパウロ〕

この度のブラジル講有巡教に合わせ、ブラジルの首都・ブラジリアには新しく親会場が建立された。その開堂式をお勤めいただくために、この日講有上人はサンパウロ←→ブラジリア間を飛行機で往復された。

早朝にホテルを出発し、国内線専用のコンゴニャス空港からブラジリア国際空港へ移動。強行日程を遂行するために、ブラジリア到着後は親会場までの道のりを警察車両のバイクの先導を受けながら移動した。日本から仏教界の最高指導者がやって来るとのことで、一般道を走る講有車の前後を巧みなチームワークで次々と制御するその警察車両の姿は、まさに諸天善神が舞い降りたかのようで、講有上人は予定通りに親会場にご到着されることとなった。

ブラジリアにはもともと茨木日水上人の御時代からのご信者が存在し、著しい発展を遂げる新しい首都ということもあり、この度この地に親会場を建立する次第となった。ブラジリア親会場の御宝前は、すべてブラジル教務方による手作り。暖かみあふれる御戒壇に向かって、会場に収まりきらないほどのたくさんの教務・ご信者が上行所伝の御題目をお唱えし、講有上人を導師とする初めての法要が営まれた。

式典の中では、担当の田所行宗師がこれまでの自身の御奉公不足のお懺悔と、新たな弘通の器としての大成を、講有上人ご臨席の下、親会場御宝前に対し宣誓を行った。法要の最後には講有上人よりブラジリア親会場教講に対し、「日本からの第一回移民船、笹戸丸に乗船された茨木日水上人の計り知れないご苦労のお陰で、今こうしてブラジルに広く上行所伝の御題目が弘まった。そしてとうとう、この首都ブラジリアにもその一石を投じることができた。これは開導聖人ご生誕200年の報恩御奉公としてはなによりの成果である」との激励を頂戴した。

最後は親会場前で警察の方々も含めて皆で記念撮影。帰り道も警察車両の先導を受け、予定通りの飛行機でサンパウロへ無事お戻りいただくことができた。


〔7/24(金) サンパウロ州会議事堂・名誉市民章授与式〕

この日の夜はサンパウロ州会議事堂にて、講有上人は名誉市民章授与式に参加予定。日中はできる限りリラックスしていただこうと、講有車のドライバーをしてくださっていたご信者の良一さんの叔母さんが経営する、サンパウロ市内でも屈指の人気日本料理店で昼食を召し上がっていただいた。良一さんは、これまでに日本で約15年間修行をされた料理人であり、現在はサンパウロ市内に新しいお店を開店する準備をしているとのこと。猊下が滞在されているホテルにも絶品の松花堂弁当を何度も差し入れしてくださるなど、志厚いお給仕は感謝しきれぬ程であった。

19:00からの名誉市民章授与式を前に、講有上人は州会議事堂控え室にてこの度の授与式の発案者であるサンパウロ州会議長のジョージ・ハト氏と、そのご子息であるサンパウロ市会議員のジョージ・ハト(Jr.)氏と共に、この度の授与の経緯やブラジル佛立宗の国への貢献などについて歓談された。ジョージ・ハト氏は、本門佛立宗が御弘通、つまり御題目の布教よる人々の救済によって、真の平和をこのブラジル、サンパウロ州にもたらしていると評価され、この度の本門佛立宗に対する名誉市民章授与を発案されたのであった。

授与式が開始されると、まずはこれまでのブラジル佛立宗の歴史、茨木日水上人の紹介、教務・ご信者の随喜談、近年の御奉公の様子などの紹介映像が流された。続いて来賓者の挨拶等を経て、現地信徒のみならず日本からの団参者一同も見守るなか、壇上にて猊下へサンパウロ名誉市民章が授与された。その後会場に駆けつけた皆で猊下を囲み記念撮影。講有上人は急遽現地テレビ局の取材も受けられるなど、賑やかな授与式となった。

授与式の後は同じ州会議事堂内の特別室にてお祝いの御供養の席が設けられた。大勢の信徒も参加し、プロのサンバチームによる催しも行われ、この度の授与式は講有巡教にかかわる人々にとって、とても素晴らしい思い出となったに違いない。


〔7/25(土) イビラプエラ公園日本移民開拓先没者慰霊法要、日教寺表彰式〕

この日は朝からあいにくの曇り空。午前中には市営公園・イビラプエラ公園内にある日本人移民先没者慰霊碑の前にてご回向を予定。天気は果たしてもつだろうか。

ブラジルという国には、過去に各地からたくさんの移民が上陸しているが、このイビラプエラ公園に慰霊碑をもっているのは、実は日本人移民だけである。今からちょうど約100年前に初の移民船『笹戸丸』に乗船した日本人移民は、上陸当初、他の移民に比べとてつもなく劣悪な環境の地に放り込まれた。そこはジャングル地帯で、毒蛇なども多く、彼らは死にものぐるいでその地を開拓しなければならなかった。日本人移民の過去帳(なくなった先祖の名前がが命日毎に記された帳簿)には、やはり赤ん坊で無くなった子供たちの戒名がたくさん記されているという。生きていくだけでも大変な環境から這い上がり、現在のブラジル国内で多く活躍する日本人のみが、その功績を称えられ、公園内に慰霊碑を持つことになったのだ。現・サンパウロ州会議長のジョージ・ハト氏の賢兄が以前サンパウロ市長であったときに、この慰霊碑は建立されたという。

朝の8:30に講有上人が公園に到着された際には、すでに雨は降り続いていた。慰霊法要が始まると、さらに雨の雫は大きくなり、参詣者一同の体を湿らす。これまでの法要の晴天ぶりと比べ、この大雨は一体何を意味するのだろうか?きっと日本人移民が開拓当初、どれだけの大きな苦労を味わったのかを、我々にそのほんの少しでも教えてくれたのだろう。二世、三世と時を経、その苦労を知らない世代への洗礼なのではないだろうか。

慰霊法要を終えた一同は、会館へと場所を移し、講有上人の仏教説話を聴聞させていただいた。この度のブラジル巡教と時期を同じくして出版された仏教説話絵本『月のうさぎ』のお話である。「布施行」の大事が、日本語とポルトガル語の両国語によって、子供たちを中心に語り聞かされた。

夜には日教寺にて、特一級拝受のご信者2名の表彰式、並びに政府・警察関係者、弘通成績優秀者、陰徳ご奉公者など計70数名への随喜上授与式も行われた。この日、日教寺では日中に「青少年平和祭り」が行われており、猊下が夕方に訪問される際には、お祭りに引き続いて「平和祈念口唱会」も行われていた。多くの青少年が迎えるなか、表彰式は盛大に始まり、ブラジル全土から集まった信徒の前で、表彰者、授与者たちは講有上人から直接手渡しで表彰状・随喜上を拝受し、各々記念撮影を行った。

日教寺での表彰式のあとは、会場を市内のシュラスカリアへ移し、この度のブラジル巡教の歓送迎会を現地信徒、日本からの団参の教講、合わせて約200名で盛大に行った。この日は大忙しの一日でもあり、また実に心に残る一日でもあった。


〔7/26(日) タピライ佛立聖地・宝塔開眼法要〕

この日はこの度のブラジル巡教のメインイベントである、タピライ佛立聖地・宝塔開眼法要が行われる日。講有巡教に合わせ、ブラジル教区は66万坪、東京ドーム約50個分の広大な敷地を、佛立聖地として山岳地帯に購入。その中心部には宝塔を建立し、宝塔下には広島市認定の「平和の鐘」をつり下げ、頂上部分に御本尊を掲げている。その御本尊(宝塔)の開眼法要を講有上人に営んでいただくべく、5年間もの月日をかけて、ブラジル教講は共に汗を流し、その準備を行ってきたのだ。

7:30にホテルをご出発された講有上人は、約2時間半のドライブを経て聖地が建立された山林入口に無事ご到着。前日まで降り続いた大雨がまるで嘘のように、雲一つない晴天が佛立聖地を包み込んでいた。ところが、前方を走る参詣者を乗せた大型バスが、その山林を進む途中、聖地まであともう少しというところでぬかるみにタイヤをとられ立ち往生するアクシデント。まったく後続の車が進むことができず、やむを得ず、講有上人にも徒歩で残り数百メートルを歩いていただくことになった。そしてここでも見事なお計らいをいただくことになる。ブラジル教講がトラクターや綱を用いてバスを引っ張り上げている横を講有上人がお通りになった直後に「ブラボー!!」という歓声と拍手が湧き起こったのだった。なんと、それまでピクリとも動かなかったバスが、講有上人が通られた瞬間、見事に動いたのだという。講有上人のお徳をいただいたと、作業にかかわっていた人たちは一斉に喜びを表した。

予定より少し遅れて開始した宝塔開眼法要。まず講有上人はヘリコプターにお乗りになり、聖地の上空を3周旋回されてから、宝塔前の池の真上にホバリング。そこで無線マイクを地上とつなぎ、開眼言上をしていただいた。ヘリを降りられた講有上人は、新たに行道を組み導師座へ。開眼直後の宝塔を今度は下から仰ぎ見て、御題目をお唱えになられた。

法要の式典で、講有上人は「この宝塔は、法華経本門八品に登場する宝塔と同じであり、そびえ立つこの大地はまさに霊鷲山そのものである。法華経・如来寿量品第十六に『一心に仏を見奉らんと欲して自ら身命を惜しまざれば、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出づ』と説かれているように、この聖地はインドでもなければ日本でもなく、遠く離れたブラジルではあるが、我々が御題目をお唱えするこの場所が、まさに釈迦牟尼仏が諸仏諸天善神と共にお出ましになる霊鷲山そのものなのである」と、あらたなこの聖地の建立を大変お喜びになられ、今後の御弘通の励みとなるであろうと、激励をくださった。

その後、青年会による「いのち」のサンババージョンなどの演奏披露ののち、出座教務一同は宝塔下へ移動。平和の鐘のつきぞめ式を行った。御供養は料理人の良一さん手作りのお弁当で、屋外に張られた大テントの下で皆でいただいた。ただ、ここぞといわんばかりに参詣者は皆講有ご夫妻と記念撮影に臨む。ブラジルの人たちはなんとも記念写真が好きである。猊下ご夫妻にお疲れが出なければ良いが。。。


〔7/27(月) ビュッフェコロニアル会食、帰国〕

全ての御奉公成就を祝うかのように、この日のサンパウロの空は雲一つない晴天。これまでの御奉公の疲れを一気に吹き飛ばしてくれるような澄み切った青い空に、心も身体もリフレッシュされるようだった。

大きな問題もなく、無事に全御奉公日程を終えられた講有上人は、滞在最終日であるこの日にブラジル全教務員との会食の場に出席された。会場はビュッフェスタイルの料理とともにパーティなどのイベントスペースを提供する「ビュッフェコロニアル」。この日の食事はオーナーの吉川さんの御供養となった。長男はブラジル佛立教務、次男はお店の後継ぎ、長女は佛立教務と結婚、会食前の挨拶で吉川さんは「最初長男が出家得度すると行った時には、本当にショックでした、なぜそんな事を言い出すのかと。しかし、時を経て振り返ってみればお店も繁盛し、家族は今幸せ一杯。なんと言うお計らいだろうか。ご信心をしてきて本当によかった。感謝の気持ちでいっぱいです。」と、本日講有上人をお招きできた喜びを語るとともに、ご信心のお陰でご家族がいかに幸せになれたかをお話くださった。

その後、京都・妙福寺住職の松本現喬師による乾杯の挨拶で会食はスタートし、まずはこの度のブラジル巡教のダイジェスト映像が放映された。前日の佛立聖地での御奉公、そのあと片付けで直前まで多忙であったにもかかわらず、映像を皆で協力して最終日までに完成させたブラジル教務方の熱心な御奉公ぶりには感心せざるを得ない。その映像は観る者にこの度の御奉公の苦労とその達成の喜びを思い起こさせ、大勢が涙するとても感動的なものであった。

出席者のそれぞれが、最後の別れを惜しむように講有上人ご夫妻と記念写真を撮るなか、突然祝いの音楽がなり始め、なんと大きなケーキが会場に運ばれてきた。これはブラジル教講が準備した、講有上人が今年金婚式を迎えられたことに対するサプライズであった。照れる表情を共に浮かべられながらも、講有上人ご夫妻はケーキにご入刀。続いて講有上人よりこの度のご巡教の総括、そしてブラジル教講の御奉公に対する感謝の意を述べられた。最後に参加者全員で記念撮影。ブラジルでのご日程はこれで全て終了することとなった。

その後、講有上人は20:30にホテルをチェックアウトされ、ご帰国の為にグアルーリョス国際空港へとご出発。空港でもたくさんのブラジル教講がお出迎えくださり、空港中に響き渡るほどの大合唱に包まれる中、講有上人はブラジルの教務・ご信者、そしてブラジルの国に別れを告げられたのだった。

無事盛大にこの度の講有巡教を終えたブラジル教区は、次は2020年にお迎えする、ブラジル弘通の初祖、権大僧正・茨木日水上人五十回御忌に向けて新たなスタートを切ることになる。


(随行教務・池本良説 記)


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挿入歌:「O som da paz—平和の音」
(作曲・作詞/本門佛立宗ブラジル教区)


A PAZ E O EQUILIBRIO DESTE LUGAR
この場所の平和と均衡とが
FAZ AFLORAR A MINHA FÉ
私の信心を咲かせる
O MURMÚRIO DAS ÁGUAS
水の流れるささやき
O CHEIRO DA TERRA
土の臭い、
E O SOM DOS ANIMAIS
動物たちのさえずりが
ACALMAM O CORAÇÃO
心を静かせる
REPLETO DE GRATIDÃO
感謝いっぱいに

NESTE SANTUÁRIO,
この聖地の
A NOSSA ORAÇÃO
我がいのりは
É PELA HARMONIA UNIVERSAL
宇宙和合のため、
E O SINO A BADALAR, FAZ ECOAR
鐘の響きは轟かせる
O SOM DA PAZ, O SOM DA PAZ
平和の音、平和の音

AS CORES DAS FLORES A ENFEITAR
花の彩色は飾り
AS ÁRVORES QUE DANÇAM
木々は踊り
AO RITMO DOS VENTOS
風のリズムに。
O SOL RELUZENTE
眩しき太陽は
NA TORRE DO DARMA
法の宝塔にて
ILUMINA A ALMA
魂を輝かせる、
REPLETA DE ALEGRIA
喜びいっぱいに

NESTE SANTUÁRIO,
この聖地の
A NOSSA ORAÇÃO
我がいのりは
É PELA HARMONIA UNIVERSAL
宇宙和合のため、
E O SINO A BADALAR, FAZ ECOAR
鐘の響きは轟かせる
O SOM DA PAZ, O SOM DA PAZ
平和の音、平和の音