罪障とは

御教歌
罪障の有無は心にかけずして
     経力たのめ南無妙法蓮華経
開導聖人は御開講(1857)以来21年、明治11年(1878)5月、当宗の法要儀式である「妙講一座」を設定され、爾来、今日まで、更に変わることなく今後も妙講一座を言上申し上げるのですが、この御文につき、いくつかの特色があります。
①当宗の法要式は妙講一座に限られ統一されています。朝夕の勤行、御講、三大会、葬儀、助行、地鎮式、上棟式、開筵式、などなどの法要式は、「無始已来」の御文から始まります。
②教務と信者と一緒に唱和します。よく他宗では僧侶だけが言上し信者は黙っている場合が多く見られますが、当宗は信者も教務にあわせて言上します。
③妙講一座のなかに、当宗の教義、いはば信心の教えが説かれています。罪障ということです。「無始已来罪障消滅」せねばなりません。
◎罪障を消滅すれば難はこず
      難をこぬをば御利益といふ
罪障には三つあります。
イ)身体の罪障。人は生まれながらにして「病の器」。四百四病の持ち主。生涯、病と争って生きています。たえず身体に気をつけて健康を維持するようにつとめましょう。
ロ)因縁を大切に。私達がこの世に生をうけたのは自由意志ではありません。命は両親による授かりもの。出生は不思議の縁によります。明るく楽しい家庭のもとに生を受ける人もあれば、暗く苦しい環境のもとにこの世に送り出される人もあります。それは過去世からの因縁としかもうせません。汚れた因縁を清い因縁に変えていく、定業能轉のお計らいを頂くことです。
ハ)思い方の罪障。お互いに受け取り方が下手で、悪い方にのみ考えがちです。元来仏の教えは因果の道理、自業自得が原則、みな自分の業のなせるわざ、自己責任で責任を他になすりつけてはいけません。
高齢になりましたら人生の先輩者として善因善果、悪因悪果という因果の道理を後継者に説き聞かせる使命を持ってください。使命とは命を使うことです。
お互い御同前は蓮華人でして、泥中の華、掃きだめに鶴、泥沼にあっても汚れに染まらず、きれいな華を咲かせる、いわば他人の受苦を悲しんで化他の業を為すという佛立菩薩行に徹しましょう。
             小澤清道 (御導師)
 

妙唱寺管理者 [妙唱寺だより] 2015-02-07 10:32:00

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