ほんもんぶつりゅうしゅう

妙玉寺


2014-12-12 19:28

速成山話 2

御教歌

 かはるなりおなじみのりをいのれども

   願ふこゝろのふかさあさゝに
 
開導聖人お示しの御教歌です。
この御教歌は、上辺は同じ様にご信心をさせていただいているように見えても、
その思いの深い浅いによって御利益に相違ができてしまうのであるから、
ご信心には厚い思いが必要であるとお示しです。
            ○       ○
さて、お祖師様が佐渡から戻られて、晩年身延山にお入りになられたときのことです。
たくさんのご信者さんやお弟子さんが、教えを請いに御供養を携えてお尋ねになります。
その中で、佐渡のお弟子で有名な「阿佛房」という方がおられます。
齢90歳を超えて、尚、お祖師様にお逢いしたい一心で、佐渡の海産物(乾物)を背負い、
何と、前後4回(3回説あり)にわたってお尋ねになったとのことです。
勿論交通機関のない時代のこと、足だけが頼りですから大変なことです。
奥さんの「千日尼」もお祖師様にお逢いしたいのですが、そうもいきません。
ただただ御題目口唱に徹して、心配しながら佐渡で留守を守っていたのです。
 
そんな中で、お祖師様は千日尼にお手紙を送っておられます。
「雷門の鼓は千万里と遠けれど打ちては須臾に聞ゆ。御身は佐渡の国におはせども
心は此の国に来れり。佛に成る道も此の如し」(千日尼御前御返事・縮遺1816)
とお書き示されました。意味は(あなたたちの信心を求める思いは遠く離れていても良く承知しています。
それは雷門の太鼓のようです。信心とはこの厚い思いが大切で、あなた達は必ず御利益をいただき
未来寂光成仏は疑いのないところです。しっかり励みなさいと・・・)
 
この雷門の太鼓とは中国古代(春秋戦国時代)揚子江下流の「会稽城」の大門の上に据えられた大太鼓で、
今で言えば直径は2~3メートルもあり、一度打てばその音は雷のように響き渡り、川面を伝い、
千万里先の首都陽春まで聞こえたと言い伝えられていました。(中国古典新書64)
            ○       ○
私達が御宝前に御祈願をさせていただく時にも、この雷門の太鼓の如くの信力が必要です。
忙しいから口唱もできるときだけ・・・御奉公も人まかせ・・・お教化等したこともない・・・
自分勝手の一人信心では、到底仏様に届きません。ご利益感得の為には厚い信心前が必要なのです。