ほんもんぶつりゅうしゅう

2016-01-26 23:17

御通知

蓬莱山清聲寺第五世 
始行山久遠寺第六世 
僧名 田村道修
平成28年1月22日(金) 
午前4時50分
行年57歳をもって帰寂されました 

本葬儀は1月25日(月) 
第二宗務支庁長
安国寺御高職
蔭山日昇御導師のもと
勝浦久遠寺にて執行されました 

以上、謹んでご報告申しあげます。

 

 

御挨拶

 

謹啓

ありがとうございます。

 この度は、新宮清聲寺第五世住職・勝浦久遠寺第六世住職 

弘経院道修日義大徳儀のご遷化に際し、ご多忙中にも関わりませず、

ご弔意、並びにご弔問賜りましたことを、心より御礼申し上げます。

 

 皆様ご存知のように、日本最南端の小さな寺院の住職ではありましたが、佛立教務としての自負と誇りは誰よりも強く、義理人情に篤く、先輩や仲間、家族のような信徒、後輩に慕われ愛され、足の動く限り本堂に上がり、声の出る限り折伏と教導を続けて、法労三十五年の教務道に幕を下ろしました。

昭和六十三年にご奉公を始めた京都の宗務本庁まで、南紀からは車で時間、飛ばしに飛ばして、休憩もせずに約三十年間走り続けましたが、このたびはご法様から一旦「休憩せよ」とのお声掛けを頂いたと思っております。こうでもしなければ止まれない教務道でした。

京都と南紀の清聲寺、久遠寺との掛け持ちのご奉公でしたが、清聲寺堅信組の大阪でのご奉公もあり、二府三県、時に海外をも行き来しながらも、地元愛深く、結婚後は無住の久遠寺へと居を移し、勝浦のご弘通、信徒育成に息を吹き込み、艱難辛苦に教講一体で立ち向かい、

現在の久遠寺の開筵式・ご講有巡教を一同感涙の中で迎えました。

これで広い境内地が確保できて、今後、住職の葬式の心配もなしと何事にも、どのような細かな小さなことにも、準備怠らないあの几帳面な、先を見越した見事な采配にて、今のこの時を無事に迎えております。

自坊の信徒は家族であり、全国の信者は同志であり、教務は憎まれても功徳を積ませて、ご利益を頂かせるのが佛立と、どなたにでも親しく声をかけ、ねぎらい、励まし、労りました。家庭を振り返る己を許さず、最愛の家族を泣かせながらのご奉公でしたが、妻にも子にも厳しいお導師であり続けたことを、遺族は今、誇りに思っております。

田村道修、ここにありというご弘通、日本南端の地からどこへでも「俺ができることなら何でもやるよ」と飛んで参りましたが、今日からはそれが伝説となる事を、凡情とはいえ残された者は心から悔しく寂しく、心細く思います。今なお、あの笑顔、言葉が心に焼き付き離れることはありません。「体は朽ちてもお寺は残る」を信念に、住職が命を削って守った清聲寺、久遠寺ともに、今後も、残されました遺族、並びに教講一同、南紀のご弘通発展に捨身決定し、ご奉公を致す所存でございます。

今頃は寂光で、田村日積上人や新畑日正上人、義父の橋本日須上人らと一献酌み交わしながら、先師に気を遣いつつ、娑婆世界の報告をしていることと思います。

本来ならば、拝眉の上ご挨拶申し上げるべきところではございますが、略儀ながら、生前のご厚情に際し深謝を申し上げますとともに、今後とも清聲寺、久遠寺ともに変わらぬ、ご高配賜ります事をお願い申し上げ、書中にてのご挨拶とさせて頂きます。

 

 平成二十八年一月下浣

 

弔主 新宮・清聲寺

    勝浦・久遠寺

 

葬儀委員長   新畑正信

遺族 田村照子 田村慧利