ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-09 14:18

10月9日の隆宣寺日記

「願いを叶える」というのは、生きていく上で大きなモチベーションになります。向上心が生まれたり、積極的になれたり、辛抱することを覚えたり…の原動力になり得ます。しかし、その願いの性質によっては、願いが叶うほど自堕落な人生になってしまうことも。世間でも「人生を狂わす危険性がある」と言われるのが《お金》《お酒》《男女関係》です。確かに、最近のスキャンダルを見ても、大体この3つが相場のように感じます。
 
いずれも、その存在そのものが悪なのではなく、その人が持つ願いが邪(よこしま)なので、その願いが叶うほど悪性は強く、深く、大きくなっていき、常習性も重度になっていきます。そして、そういう状況に陥っていることに自分自身で気づけないのが、たちの悪いところ。それほど小さな変化の連続で、私達の心を蝕み、汚染していくのが煩悩の恐ろしさなのです。こうなってしまっては、他人の言葉に耳を傾けることもできなくなってしまいます。
 
そう思うと「どうやって煩悩と付き合うか?」というのが私達にとって大きな課題。煩悩は無くすこともできなければ、そのまま放置しておいていいものでもありません。上手に付き合えれば有害ではなくなるし、上手に利用すればプラスにさえなります。つまり、向かい風も上手に使えば、飛行機みたいに浮き上がるチカラにできますし、こちらの進む方向を180度変えれば、背中を押してくれる追い風にもなります。
 
そんな解決方法を教えてくださるのが仏様の教え、仏教です。日常的にお寺にお参りをして、ご信心をさせていただくことによって、無理なく、自分らしさを損なうこともなく、煩悩との生き方が自然と身についてきます。決して禁欲的でもなく、ストイックでもなく、むしろ自分らしく生きられるようになる。贅肉のように余計な願いが削ぎ落とされれば、もっと自分自身が洗練されていきます。
 
今、色んな思いが心の中にあって、それらが浮かんでは沈んでいくたびに心が揺れ動く。あっち、こっちから引っ張られたり、押されたり、急かされたりして、あたふたしていませんか?本当の思い、本当の気持ち、本当の願い…「私は一体何を望み、願っているのだろうか…」そこにきちんと照準があって、鮮明にしていくためにも、余計な願いは削ぎ落とすべきです。そのために煩悩と上手くやっていく、そのために是非、お寺にお参りして心をコントロール♪
 
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