ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-27 11:33

8月27日の隆宣寺日記

「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」
どう考えてみても「一生の恥」の方がデメリットは大きいはず。それなのに、どうしても「一時の恥」をかきたくないがために、結果的に「一生の恥」を選んでしまっている人は多いものです。
 
人は誰しも自分の弱い所、ダメな所を見せたくない、知られたくないと思うもので、それは、それだけ自分を強く見せたい、良く見せたいという欲求があるためです。だから、知らない事、わからない事、できない事を素直に聞くこと、教わることができない。そして、知ってるような、わかってるような、できるような言動を取ってしまう。
 
そうやって「一時の恥」を避けるために、虚勢を張り、嘘偽りで自分を作り上げますが、周囲の人は、私達が思っている以上に、それが「張りぼて」であることに気づいています。つまり、当の本人はアレコレと苦心をして「一時の恥」を避けられたと思い込んでいますが、その一方で、毎日のように「一生の恥」をかき続けていることに気づけないのです。
 
そもそも「知らないことを聞く」ということは、決して恥ずかしいことではありません。誰もが「わかない」「知らない」「できない」ところから始まります。そこから1つ1つクリアして、成長していくためには、まず「聞くこと」です。そして、聞いたことを実践に移していくことで、体が覚え始め、理解も深まっていきます。
 
もちろん、1回や2回では覚えられませんし、忘れてしまうこともあります。時には「今さら、こんなこと聞けない」というようなこともあるでしょう。でも、そうやって「今さら聞けない」「恥ずかしい」と思ってしまうのは、それだけ初歩的なこと、基礎的なことだからじゃないでしょうか?
 
ということは、それは必ず聞くべき事、もう一度、教わるべきことです。「恥ずかしい」と思っているのは自分だけの話で、教える側にしてみれば一大事と言えます。なぜなら、そんな初歩的、基礎的なことがわからない、出来ない、忘れた、となれば、教える側の責任として、もう一度教え直す、今度は忘れないように教え込む使命があるからです。
 
そう思えば、そういう「今さら聞けない」は、むしろ「ドンドン聞いて欲しい」というのが、教える側の本音であり、むしろ「願い」ですらあります。もし「恥をかく」と思わせているのなら、それは教える側にも問題があるのかもしれません。そう思わせないように、常日頃から指導にあたることが教える側に求められるのでしょう。
 
つまり「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という問題は《教える側》《教わる側》双方にかかわることであり、お互いに問題意識を持って取り組むべきことだと言えます。相手の改良を求める前に、まずは自分自身の立場で改良を試みましょう!
 
 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)
★夕看経御法門は【ここをクリック】(YouTube)