ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-22 13:13

11月22日の隆宣寺日記

どんなにお金があっても、運が無ければ、いずれ「すっからかん」になります。どんなに知識や技術があっても、運が無ければ、必要とされることもありません。人・物・金は常に動き続けていて、運の良い人、強い人のところへ自然と集まります。どんなに招き寄せても、運の悪い人、無い人のところへは集まらず、逃げていくばかり。自分のチカラだけで成功できるのであれば、誰もが成功者になれているはずです。

 

でも、実際はどうかと言えば、努力が報われないままの人が沢山います。世の中は自分のチカラだけで何とかなるほど、単純な仕組みではありません。人間では感じ取れない《はたらき(作用)》《チカラ》《流れ》があって、私達の気づかないところで人生が大きく右へ行ったり、左へ行ったりしています。それだけ「運」というのは、人生において重要なものなのです。

 

ビジネスの世界でも「あと、お金さえあれば!」は通用しないと言われています。単純に考えて「お金さえあれば」誰だって、それだけの物が買えるし、サービスを利用できます。でも、誰だって「お金が手に入るのか?」というと、そんなことはありません。「お金さえあれば!」の、その「お金」を準備できる所に、その人の実力と運があるのです。逆に言うと、実力・運が無いので、その「お金」が集められない、その人のところに集まらない。

 

恐らく、世の中の大半の人が、自分で出来る努力は精一杯していると思います。あれこれと金策して、知識や技術も身につけて、まさに「できることは全部やる!」それぐらいの意気込みで人生を歩もうとしていますが、その時に盲点となりやすいのが「運」の話。どんなエリートでも「運」がなければ採用されず、「運」が尽きれば真っ逆さまに落ちていきます。逆に「運」が開けていけば、今まで全く見えていなかった道が突如あらわれることがあるのです。

 

そんな開運のために神社仏閣を巡ったり、スピリチュアルにハマる人も多いようですが、もし、それだけで開運するのであれば、この日本はとっくに幸せな国になっているでしょう。「運」を良くするのにも、必ずそれだけの《原因》が必要で、それだけのアクションが必要です。自分の「運」を《当たるも八卦当たらぬも八卦》というものに委ねてしまっていいのでしょうか。どうせなら、本気で「運」を良くしようと思って、お寺にお参りしてみませんか?

 

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