ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-26 10:21

6月26日の隆宣寺日記

「イギリスで起きた、とある白鳥の悲劇」
仲睦まじく6個の卵を育てていた白鳥の夫婦がありました。ところが、10代の少年達が巣に石やレンガを投げつけ、悲しいことに3個の卵が割れていまいました。しかも、割れた卵のニオイを嗅ぎつけた動物たちが巣に集まり、残された卵は、たった1個になってしまいました。更に、追い討ちをかけるかのようにオスの白鳥が巣からいなくなりました。巣の中には卵が1つ、そしてメスの白鳥が1羽のみ。じっと卵を見つめるメスの白鳥の姿は、とても言葉では表現できません。数日後…メスの白鳥は巣の中で息絶えていました。「ストレスが重なり死んでしまったものと思われます」と野生動物の活動家サム・ウッドロウ氏は語ったとのことです。
 
目の前に広がっている世界も、私達の日常も常に変化をしています。それは私達にとって「良い変化」もあれば「悪い変化」もあります。そういう可能性が常にあるというのが、この世の有り様です。それを仏様は「諸行無常」という風に教えてくださいます。ただ、私達はこの事実を悟れないので、目の前の客観的な変化に対して、どうしても「良い変化」「悪い変化」という評価をしてしまいます。そして、一喜一憂をしてしまう…ここに、私達の心に《苦しみ》が生まれるメカニズムがあります。
 
仏教を信仰する、ご信心をさせていただくことによって、この《変化》そのものが無くなる訳ではありません。「この世の全ては常に変化している」というのは真理であり、決して変えることのできない歴然とした事実です。ただ、この《変化》で苦しむ心を【楽】にすることはできます。苦しみにくい心になっていくことも、苦しみを最小限にすることもできます。そういう「心の楽」こそが仏教の目指すところであり、それが最高の養生となり、健全な人生をつくる元となります。
 
これは決して何かで苦しみを誤魔化したり、目の前の《変化》を見て見ぬ振りをする訳でありません。気分の問題でも、気の持ちようでも、テンションの話でもありません。この世の《変化》に対する私達の心のあり方、その心の作り方の話です。仏教とはそういう教えであり、ご信心をさせていただくとは、実際に、そういう心になっていくためのメソッド(手段方法)です。お寺で「最高の養生」をしてみませんか? 
 
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