ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-11 09:20

8月11日の隆宣寺日記

正しいものを「正しい」と認識できること、真実を「真実」として信じられることは、この世で生きていく上において、とても重要なことです。たとえば、私達は30センチ物差しを「30センチ物差し」と認識し、信じているので、正しく長さを把握できたり、真っ直ぐ線がひけたり、みんなと情報共有することができます。もし、30センチ物差しを「30センチ物差し」として認識できず、信じることができずにしたら、生きていく上での不具合、不都合が、人生の色んな場面で発生することになります。

 

このブログでも何度となくお話ししていますが、仏教とは「仏様が創作した教え」ではありません。仏様の悟る、悟らないに関係なく、この世に流れている1つの法則・ルールこそが仏教の核心部分です。その法則・ルールに気づいた人、悟った人のことを「仏」「ブッダ」と言うのであって、仏教の大前提は「教え」「法則」「ルール」なのです。ただ、その「教え」も最初に悟った人、つまり仏様が語らなければ伝わらない訳で「仏様の口から語られる教え」という意味において《仏様の教え》と表現されるのです。

 

よって、仏教を信じるということは、この世で生きていく上で極めて重要なことです。人は、それぞれの思いで様々なルールを創作しますが、それが全て「正しい」とは限りません。結局、人間社会における「正しい」は多数決か権力者の意向によって作られた「正しい」であって、この世のルール・法則に従った、客観的・絶対的な「正しい」ではありません。だからこそ、人類はこれまでに何度となく、正しくない「正しい」を創り上げては、負の遺産、負の1ページを何度となく積み重ねてきました。

 

現在の「コロナ禍」を見ても、そのことを思わずにはいられません。色んな人が色んな意見を次々と掲げ、人の不安に乗じて利益を得ようとする言動も多数見受けられます。そういった膨大な情報が各種メディアから発信され、インターネット上はもはやカオス状態です。それが私達の心をカオスにしていくのは自明の理で、もはや何ら基準を持たない無法地帯と化しています。この状況を打開するのために必要なのは、やはり正しい基準を持つことです。

 

誰かが、この世を変えてくれる訳ではありません。私達一人ひとりが正しく考え、正しく生きられるようになってこそ、この世は正しい状態、本来あるべき状態へと戻っていくことができます。そういう意味において、仏教は「スペシャル」ではなく、極めて「ノーマル」なのです。だからこそ、私達一人ひとりの生活に、日常に仏教を根づかせることが大切。正しいものを「正しい」と認識できること、真実を「真実」として信じられることは、この世で生きていく上において、とても重要なことなのです。

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

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