ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-01-21 10:06

1月21日の「毎日ぶっきょう」

「自分の間違いに、自分で気づく」というのは、出来そうで出来ないことの1つです。なぜなら自分なりに考えて「正しい」「大丈夫」と確信を持っているのが通常で「これ、アカンやろな〜」と思いながら、やっている人は少数派のはずです。しかし、そうやって自信を持ってやっていることが、客観的に見て間違っていたり、その場に相応しくなかったり、言い方やタイミングが間違っていることはあります。

 

そんな時に、その間違いに気づかせてくれるのが第三者の指摘や忠告、助言です。そういった《第三者からの働きかけ》によって、改善へのスタートを切ることができる。なかなか自分では気づけない分、それらは実に有難いお言葉であると言えます。そう思うと、誰かの間違いを見つけた時には「声をかけてあげること」が慈悲というもの。そうやって、お互いに指摘し合える、忠告し合える間柄になっていくことが本当の絆です。

 

ただ、その際に必要なのが《相手への敬い》です。わざわざ間違えようとしている人はいないのですから、その点は汲み取らないといけません。正しいことを言うのだからこそ、その言葉や態度は相手よりも正しく、相応しくないといけません。まるで「やじを飛ばす」ような声かけは、単に言いたいだけで、言いっ放しの無責任な行為。あくまでも「相手が良くなるために…」という目的を達成させるための、慈悲の声かけなのです。

 

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