ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-11 09:39

11月11日の隆宣寺日記

思いが厚い人と、思いが薄っぺらい人とでは、自然とその言動に大きな違いが表れます。思いが厚ければ自分から率先して行動に出るでしょうし、敬いが有れば所作振る舞いも丁寧です。反対に、思いが薄ければ言われてからの行動となったり、言われても行動に移さなかったり。敬いが無ければ形ばかりの、無機質な所作振る舞いであったり、ぞんざいな所作振る舞いであったり。《思い》そのものは目に見えませんが、その思いから生み出される言動によって明らかになるものです。

 

そう思うと、自己評価をする時には必ず他者との比較であったり、他者からの評価であったりが必要で、自分で「自分」を見るばかりでは、どうしても得手勝手な思い込み評価になってしまうものです。もし「井の中の蛙」で、自分一人の世界だけで生きていくなら、それでも結構だと思いますが、大半の人は多様化が叫ばれる世の中で、多くの人々と共に生きていかねばなりません。つまり、自分では思いが有る「つもり」では通用しない、思いは他者に伝わる必要があるのです。

 

ということは、相手に伝わる所作振る舞いを身につけることが第一歩となってくる訳で、それが「独りよがり」の思いから抜け出すスタートラインであると言えます。他者に《思い》が伝わり始めると、必ず他者からの反応、リアクションが違ってきます。すると、こちらの《思い》にも自然と変化が生まれ、それが更なる所作振る舞いの変化に繋がります。最初は「ぎこちない」かもしれませんが、何事においても《矯正》の始まりとは、そういうものです。

 

仏教を信仰するとは、まさに「人間としての所作振る舞い」を身につける道です。自分の《正しい》であったり、一個人の《正義》であったりを貫くのではなくて、この世の真理として《正しい》ことを「所作振る舞い」に反映させていくのです。だからこそ、仏教では「人の言葉」ではなく「法」「道理」を基準とします。人としてどうあるべきか…、この意識と自覚ある言動が世界をより良くするのです♪

 
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