ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-17 10:02

8月17日の隆宣寺日記

間違いなくゴール、目的地にたどり着くためには「道を外れずに歩み続ける」ということに尽きます。そのためには常に遠くのゴールを見据えながら、軌道修正しながら、確実に自分の足を動かして、目の前の一歩を踏み出し続けること。ごくごく当たり前の理屈なんですが、実践し続けるとなると難しいことです。

 

仏教用語に「受持(じゅじ)」という言葉があります。「教えを受けて、それを持(たも)つ」という意味で、具体的には「忘れない」「常にONにしておく」いわば、教えを自分のものにして、日常化させることが「受持」だと言えます。もちろん、それは頭でわかってるだけでも、心で感じ取ってるだけではなく、自分自身の生き様、生き方にしっくりと反映されてこそ「受持」です。

 

少し話が逸れますが、最近『鬼滅の刃(きめつのやいば)』というアニメを観ています。「仏教的要素があると思うので、御法門(法話)で取り上げて欲しい」というリクエストをいただいたので、物は試しに勉強中なんです。で、早速「これは使えるセリフだなぁ〜」というのを見つけたので紹介します。

 

主人公は師匠から一通りの教えを受けて、あとは自分のものにするだけの段階になりました。ところが、一向に花開かず、師匠から出された課題を全くクリアできずにいたのです。そんな折、とある少年(錆兎)が現れ、圧倒的強さで主人公を打ちのめしました。そして、このように言い放ったのです。

 

「お前は知識として、それを覚えただけだ。お前の体は何も分かって無い。1年半もの間、何をやっていた!」

「お前の血肉に叩き込め。もっと、もっと、もっと!」

「鱗滝さんが教えてくれた全ての極意を決して忘れることなど無いように、骨の髄まで叩き込むんだ!」

 

つまり、主人公は師匠から「教えを受ける」ところまでは出来ていましたが、それを「持(たも)つ」ことが出来ずにいたということです。教えを「忘れない」とは、単に「頭の中で記憶している」ということでも「心の中で思い続ける」ということでもなく「体が覚える、忘れない」ということ。そして、それが「常にONにしておく」ということになるのです。

 

たとえば、普段から敬語を使っている人、敬語が身についている人は、とっさの一言でも、イレギュラーな場面であっても、必ず敬語が出てきます。でも、マニュアルとして覚えた人は、なかなかそうはいきません。想定外のシーンで、うっかり若者言葉や友達に話すような言葉が出て「あっ、しまった!」という顔をする人は少なくありません。

 

これは、どんな道においても、何に取り組むにしても共通して言えることです。特に、仏教、ご信心というのは人生の柱、軸になり、人生の土台、基礎となるものです。特別な時だけ「仏教モード「ご信心モード」になるのでは、いつまでも物になりません。意識して「忘れない」「常にONにする」ことによって、自然と日常化していきます。その時に、ようやく「受持」となって、本当の意味での信仰になっていき、私達が目指すべきゴール、期待すべき成果は、その向こう側にのみあるのです。

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

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