ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-15 10:02

8月15日の隆宣寺日記

2日前ほどから話のテーマが似ていて、全てが関連しています。私達の心にある「貪欲(とんよく)」という煩悩のせいで様々な不具合が起きます。そのうちの1つが、昨日お話しした「顛倒(てんどう)」です。何かにつけて正しい道理を逆さまにしてしまう、そういう風にしか感じ取れない。

 

そのために「これが最善の道だ!」と思って、突き進んでいる道が、実は悪い道、損な道、苦しい道であることがあるのです。それは見るからに悪そう、損しそう、苦しそうな道ではなく、実に魅力的で、心惹かれる見た目をしています。

 

 いや、そういう風に見えてしまう、感じてしまうのが「顛倒(てんどう)」の恐さです。よって、本当に正しい道、本当に得で、楽な道を、悪くて、損で、苦しい道を感じてしまう。特に、仏様が説かれる《この世の真理》は正し過ぎるが故に、極端に拒絶反応が起きてしまいます。そして「そんなものは重要でもなければ、貴重でも、有難くもない」と軽しめてしまうのです。

 

「顛倒(てんどう)」の度合い、程度の違いは人それぞれによって違います。ある程度の興味関心が持てたり、一定の理解を示したり、共感を得ることができることもあれば、全く受け付けない、それどころか嫌気が差すほどの反応を示すこともあります。これもまた、前世から引き継いだ魂の記憶、その良し悪しによって大きく違ってくるのです。

 

いずれにしても、仏様の教えを聞き、信じられるようになるためには、つまり、この世の真理、この世のルール・法則を基準にして生きられるようになるためには、ありとあらゆる苦しみの原因である「貪欲(とんよく)」を何とかしないといけません。自分の心が正しいものを拒絶するのですから、まずは心が変わる、心を変えることが先決です。

 

その手段方法について教えているのが「信心修行」の部分です。どんなに教えを聞いて、頭で理解ができたとしても、心で感じ取ったとしても、体が覚えなければ、つまり、行動に移して体得しなければ何も学ばなかったのと同義。仏教とは、考え方や生き方が実際に変わってこそ、本当の価値があるのです。

 

もちろん、その第一歩を踏み出すために、色んな教えに触れることは大切なことです。私が「5秒で仏教」と題したイラストを掲載したり、毎日ブログを更新しているのも、そのためです。でも、これはスタートラインに立つためのキッカケ作りに過ぎません。仏教を体得したいなら、自分を変えたいなら、人生の軌道修正をしたいなら、正しく行きたいのなら…是非とも、お寺にお参りください!一緒に正しい道が歩めるようになりましょう♪

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

 ☆朝参詣御法門は【ここをクリック】(YouTube)