ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-26 10:13

8月26日の隆宣寺日記

自分の限界を知ることは、生きていく上で大切なことです。限界を知らずにいると、無茶な考え、行動につながります。お酒を飲み過ぎて、急性アルコール中毒になってしまったり、仕事を抱え込み過ぎて、締め切りに間に合わなかったり、過労になったり。スポーツをするにしても、自分の能力を見誤るとケガのもとになります。
 
しかし、自分の限界を知るのと「限界を作る」のとでは全く意味が違います。「限界を作る」とは、本当はやれば出来るのに、その手前で止めてしまう、諦めてしまうこと。いわば、自分が本来持っている能力に、わざわざロック、鍵をかけてしまうようなものです。そうしてしまうのには、それなりの理由があると思いますが、実にもったいないことだと言えます。もちろん、そのロックを外せるのは、ロックをかけてしまった本人です。
 
あえてロックをかけている人もあれば、自分では気づいていない人もあります。いずれにしても、周囲から見ると「限界を作っているな」と感じるものです。そんな時に、その人のロックが外れて、本当の意味で実力発揮がされるように、アドバイスやサポートをさせていただくのも大切なことです。そうすれば自他ともに良くなっていけます。
 
「できない」ものは仕方ありませんが、「できる」のにやらないというのは、限りある命の使い方として、本当に正しい選択と言えるでしょうか。仮に、今は「できない」にしても、努力によって「できる」に変えていくことができます。そして、そのための努力が「できない」ということは決してありません。努力は「する」か「しない」かであって、「できる」「できない」という選択肢ではありません。
 
しかし、限界を作ってしまっている人の多くは、そのことに気づけていません。だからこそ、周囲の人が声をかけて、ロックを外すきっかけを作る、働きかけをすることが重要。自分で気づいてロックを外してくれたらいいのですが、なかなか、そうならないのが現実なのです。余計なお世話だと思われるかもしれませんが、その人に「その人らしく」あって欲しいからこそ、一声かける、見守り続ける、自分で作った限界を自分で突破する、その日まで。それが家族、仲間、同志の本来あるべき姿ではないでしょうか。
 
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