ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-03-09 13:50

3月9日の「毎日ぶっきょう」

 「嘘も方便」(うそもほうべん)という言葉があります。本来、嘘はいけないことで「嘘つきは泥棒の始まり」ともいいます。しかし、その「嘘」を物事を上手く進めていく手段方法の一つとして利用する。その意味において、世の中には「やさしい嘘」ということも成立し得るのです。

 

先日、SNSでシェアされていたのは、小学1年生の男の子の作文でした。タイトルは「おとうさんにもらったやさしいうそ」(お父さんにもらった優しい嘘)。その子が2歳の時、彼のお父さんは白血病になってしまい、治療を受けることになりました。そこでお父さんは、こんな嘘をついたのです。

 

「お父さんは、ちょっと遠いところで仕事をすることになったから、お母さんと元気で過ごしてね」

 

当時2歳だった彼は全く覚えていませんが、お母さんのスマホにその時の動画が残っているそうです。残念ながら、その一週間後に彼のお父さんは亡くなってしまいました。3歳の息子がいる私にとって、とても考えさせられる記事です。男の子は作文の最後で、このように書いています(読みやすくするため漢字に変換しています)

 

「お父さんが優しい嘘をついてくれたお陰で、僕の心は強くなれています。これからもお父さんの言葉を守って、お母さんと元気に過ごしたいです。お父さん、優しい嘘をありがとう。」

 

単なる「嘘」は罪ですが、手段方法としての「嘘」には一定の効果があります。つまり、最初から真実を伝えるだけが全てではなく、真実がちゃんと伝わるように、あえて真実を後に回して「仮のもの」を先に出す、それこそ「嘘」ですら利用できる。そして、最終的に真実が明らかになった時点で「仮のもの」や「嘘」は役目を終えます。

 

しかし、その役目を終えた「仮のもの」や「嘘」からは、思いやりや慈悲が感じられます。反対に、いきなり真実を突きつけられたばかりに、拒否や拒絶という反応にもなりかねません。ただし「嘘も方便」は真実を伝えるための手段方法ですから、いつまでも「嘘」のままではダメです。最終的に真実を明らかにして「嘘」の役目に終止符を打つ、そこまでが「嘘も方便」と心得ましょう。

 

この手法は、仏様が教えを説いた時にも用いられました。なぜなら、仏様は正しいことを、正しく説き明かすこと自体を目的としていたのではなく、正しいことが相手に伝わり、その人もまた正しく生きられるようになることを目的としていたから。よって、その目的を達成するためなら、色んな手段方法を取るのも選択肢の1つであると言えるのです。

 

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