ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-09-07 09:23

9月7日の隆宣寺日記

今、目の前にある【結果】には必ず【原因】があって、それは過去の自分によって作り出されたものです。そして、今、自分自身が作り出している【原因】がもととなって、将来、何かしらの【結果】が自分の目の前にあらわれることになります。これが仏教的な考え方であり、仏教的な物事の受け止め方です。そして、それに基づく生き方こそ仏教的人生観といえます。
 
諺に「隣の芝生は青い」「隣の花は赤い」とあるように、人間という生き物は、他人と自分とを比べる癖があって、何かと「あの人はいいよなぁ〜」と他人を羨み、「それに比べて自分なんて…」と自分を蔑む傾向にあります。もちろん、そこから「よし、自分も頑張るぞ!」となればいいのですが、「あの人はズルい、なんで自分ばっかり…」という感情は健全ではありません。
 
もし、今の自分に納得がいかない、不満があるのであれば、その思いを誰かにぶつけたり、誰かのせいにしたりするのではなく、今後、より良い【原因】を作り出すパワーに変換していくことが大切。なぜなら、そうすることでしか「今の自分」「今の状況」は変えられないからです。人は、それぞれに「自分の人生」「自分の道」を歩んでいます。それはスタートラインも、道のりも、ゴールも全く違う道なのです。
 
この点を十分に心得ておかないと、どうしても嫉妬の目で他人を見てしまいます。他人と自分を比べたとしても、あくまでも参考程度にしかなりません。あの人と全く同じことをしたとしても、全く同じ結果になるとは限りません。たとえば、私は筋肉がつきにくい体質のようで、どんなにトレーニングをしても、どんなにプロテインを飲んでも、筋肉ムキムキにはなりませんでした(笑)これは、どんなことにおいても、誰の人生においても言えることです。
 
人生は人の数だけあり、幸せも不幸せも人数だけあります。誰かにとっての「幸せ」が、自分にとっても「幸せ」だとは限りません。「幸せになれると信じて、ここまでやってきたのに…」となってしまうのは、自分の道ではなく、誰かの道を歩んでしまっていたせいかもしれません。結局、自分の幸せは、自分の道を歩み続ける先にあるもので、それは、いつだって、誰だって暗中模索、手探りの毎日だと言えます。
 
そういう人生において、確実に自分の幸せをコツコツと築いていくのが、ご信心のある人生、仏教をベースにした日常生活の送り方です。老若男女問わず、全員に共通しているのは「正しく生きる」ということ。そうやって「徳を積む」により、それぞれの人生を土台から良くしていけます。身についた《徳》は変幻自在で、人生の色んなポイントで、その効果を発揮してくれるのです。それぞれ違う道、自分の道を歩むからこそ、それぞれに、ご信心のある人生を送りましょう♪
 
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