ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-06-06 11:52

6月6日の「毎日ぶっきょう」

教育者であり、哲学者でもあった森信三氏の言葉に、こんなものがあります。

「教育とは流水に文字を書くように果敢(はか)ない業(わざ)である。だが、文字を岩壁に刻(きざ)むような真剣さで取り組まねばならぬ。」

 

私も皆さんに仏教を伝える立場であり、ある種「教育」に近いものがあります。こちらが必死になって相手に伝えたとしても、相手に伝わるかどうかは別問題。そして、相手に伝わったとしても、相手が納得するかどうかは、やはり別問題です。

 

納得してこそ、その人の考え方や行動が変わり、人生そのものが変わり始めます。そう思うと「教育」の目的は、相手に伝え、相手に伝わり、相手が納得すること。それまで、伝える側は負けん気と根気と慈悲を持って取り組まないといけません。

 

負けん気が強くても、根気が足りなくて途中で投げ出したら、ただの負けず嫌い。慈悲の足りない負けん気と根気は、ただ「しつこい」だけの自己満足になりがち。相手を思いやる大きな慈悲の上に成り立つ、相手本位の負けん気と根気が正意です。

 

水面に文字を書いたって何も残らない、流水なんて書いた文字すら認識できない。全くの徒労に終わるように儚く感じてしまうけれど、真っ向正面から向き合う。しっかりと刻み込んで相手に何かを残せるよう、真剣に取り組む姿勢が必要です。

 

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