ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-11-12 11:54

11月12日の隆宣寺日記

《安心》というのは根拠があってこそ成り立つものです。不安要素に対して対策を講じる時、その根拠がしっかりしていると、その対策自体に納得がいきますし、実際に対策を取ることで安心ができます。根拠が曖昧であると、その対策自体に疑念や不安が生じてしまうことになり、どんなに対策を講じたとしても、なかなか安心感を得ることは難しくなります。

 

現在、新型コロナの対策が色んな形で取られていますが、なかなか不安を払拭できずにいるのではないでしょうか。それぞれに科学的、医学的根拠があるはずなのに、どうしても安心ができない。未知のウィルスであっただけに、専門家の意見も分かれがちで、対策もまちまち。様々なリスク、その可能性を大々的にメディアが発信するので余計だと思います。

 

もちろん、そういった情報を仕入れ、正しく恐れることは必要なことです。情報を得ようとせず、対策も取ろうとせず、根拠のない安心に浸(ひた)るのは、新型コロナの感染拡大に一役買ってしまう恐れすらある危険な思考・行動です。しかし、世の中に蔓延している情報に左右され、私達の心が右往左往するのもいけません。コロナ禍であっても、限りある人生を送っている訳ですから、有意義に過ごしたいもの。

 

そこで重要になってくるのが「信仰」「信心」という側面からいただく《安心》です。これは単なる気休めではなく、それこそ根拠のない安心でもありません。この世の真理として歴然と存在する、いわば根拠のある安心なのです。ただ、その根拠は数値化することも、可視化することもできません。そこが科学的、医学的根拠と違うところですが、そこにこそ最大の特徴があります。

 

今や、目に見えるもの、数値化できるものすら信じられず、信じたとしても不安が残る状況です。つまり、安心を得られるほどの対策となっていない、それだけの根拠が揃っていない。仮に、万全な根拠があるのだとしても、実際問題、安心できずにいるのが私達の《心》です。そう思えば、科学的、医学的根拠に基づく対策だけ安心を得ようとするのではなく、信仰・信心によって安心を得ようとすることが、有意義な人生を送るためには必要なのです。

 

こんな時だからこそ、お寺の大切さ、仏教の大切さを見直してみませんか?

 

不安を何かで誤魔化すのではなく、きちんと不安を取り除く、安らかな心にする。そのために出来ることがあり、そのためにお寺という場所があり、お坊さんが常駐しています。ぜひ、お寺に足をお運びください!マスクをして、換気をして、お待ちしております♪ 

 

 ☆朝参詣御法門《1回目》は【ここをクリック】(YouTube)
 ☆朝参詣御法門《2回目》は【ここをクリック】(YouTube)