ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-05-25 10:28

5月25日の「毎日ぶっきょう」

人間というのはどこの誰だって、赤ちゃんの頃は「おぎゃあ」と泣くことぐらいしかできません。えらい先生の赤ちゃんだからと言って、最初から話せる訳ではなく、色々知ってる訳でもありません。スポーツ選手の赤ちゃんだからと言って、最初から立てる訳ではなく、歩いたりできる訳でもありません。大食いタレントの赤ちゃんだからと言って、最初からご飯が食べられる訳ではなく、必ずミルクからスタートです。

 

じゃあ、どこで人生が違ってくるのかと言えば、それは「親の教育」であり「育つ環境」であると言えます。一体どんなものを見せて、聞かせて、やらせてみるのかによって、その子の能力は大いに違ってきます。正しいもの、善いものを見せて、聞かせて、やらせてやれば、その子は正しく、善い道を歩むようになり、反対に悪い物を見せて、聞かせて、やらせてしまうと、その子は悪い道を歩むようになってしまいます。

 

もちろん、生まれた家によって、経済的に手厚く投資してもらえる子がいたり、そうじゃない子がいたり、心も体も健康的な家族に見守ってもらえる子がいたり、そうじゃない子がいたりということもあるでしょうし、中には身体的・精神的にハンディキャップを持って生まれてくる子もあり、スタートラインはまちまちと言えます。しかし、そんなものを物ともせず立派に育つ子もあれば、折角の環境を台無しにする子もあるのが現実なのです。

 

私も一人の親として、子供に何を見せて、聞かせて、やらせるかは「親の責任」であると常々感じています。すべての子供には《あらゆる可能性》があり、その可能性を「生かすも殺すも親次第」という一面があります。そう思うと、せめて子供が「育つ」のを妨げないことが大切で、親が子供の手かせ足かせになっては本末転倒です。結局、親の役目は子供が「育つ」のをサポートすることであり、親が「育てる」というのは越権行為であると思えてなりません。

 

少なからず子供にとって一番身近な大人、一番身近な人生の《お手本》は親ですから、親の生き方が問われる訳です。「子は親の鏡」と言われるくらいですから、まずは親の言葉や行動、そして心のあり方が、一番の教材と言えます。そういう意味で、親は常に自分自身の生き方を省みる一方で、子供たちが一体どんなものを見聞きしているのか、どんな環境で育とうとしているのかをチェックして、必要に応じてサポートしてやることが求められるのでしょう。

 

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