ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-08-09 12:41

8月9日の隆宣寺日記

病気になった時、病院へ行けば大抵、薬を出してもらえます。その時に「なぜ、この薬なんだろう?」と疑問に思う人は、あまりいないんじゃないでしょうか。仮に、そういう疑問が湧いてきたとしても、とりあえず、言われた通りに薬を飲むのが大半で「なぜ、この薬なのかハッキリわかるまで飲みません!」という方は、極めて少数派だと思います。

 

もちろん「なぜ、この薬なのか?」という根拠であったり、理論理屈であったりは、必ずあるものです。しかし、どんなに優れたメカニズムも、それだけでは役に立ちません。全てが実際に稼働したり、現物になったり、その働きが事実としてあらわれ、かつ、その働き、効果が手に届く状態にまでならないと、私達は何一つとして結果、利益を得ることはできません。

 

そう思うと、薬の効果が出るメカニズムは当然、薬を作る上で必要不可欠なのですが、そのメカニズムだけでは病気が治ることはなく、病人に必要なのは薬そのものです。むしろ、それさえあれば自然と効果を得て、病気は快方へと向かっていきます。これは仏教の世界、ご信心の世界でも全く同じことが言えます、なぜ「南無妙法蓮華経」が有難いのか、どうして「南無妙法蓮華経」なのかというメカニズムや理論理屈は御経に詳しく説かれてあります。

 

しかし、それをどんなに研究しても、どんなに読み込んだとしても、それは薬の説明書を研究して、何度も読み込むのと同じ行為です。いち早く効果を得たいのであれば、まずは言われた通りに薬を飲むのと同じで、まずが教えていただく通りに「南無妙法蓮華経」と唱えてみる。そうすれば問答無用で結果があらわれます。事実として、実際として、その効果を心と体で感じ取ることができます。

 

「なぜ?」「どうして?」という探究心は大切で、それが求道心(ぐどうしん)、仏の道を求める動機になります。しかし、それがために仏の悟り、その効果を全く実感できないでいるのは、まさに本末転倒です。自他共に苦しみから救われるために、仏教は存在しています。いわば、救われてこそ本来の仏教なのです。

 

メカニズムだけでは救われないし、誰も救えません。そう思えば、最も大切なのは素直に信じて、行動に移すという至ってシンプルな行動力なのです。

 

*7月20日〜8月19日までは「夏期参詣」の御法門です

 ☆朝参詣御法門は【ここをクリック】(YouTube)