ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-11 10:02

12月11日の隆宣寺日記

仏様の教えを「聞く」と言っても、単に耳で聞くだけでは、本当の意味での「聞く」にはなりません。もちろん、耳で聞くことが第一段階、はじめの第一歩ですが、そこから先があります。まず、耳で聞いたことを頭で理解をしたり、認識をしたり、また忘れずに覚えることが大切です。ただ、それだけで終わってしまうと、単なる「知識」として積み重なっていくのみで、実際に行動したり、言葉を発したり、また心の中で何かを思ったり、感じたりする時に役立ちません。

 

仏様の教えを聞くのは一体なんのためかと言えば、私達の行動や言葉、思いに良い変化をもたらすため。わかりやすく言えば、人として成長していくため、少しでも仏様のような生き方ができるようになるため。もし、知識や知恵の蓄積によって、それが可能になるのであれば、とっくに世界平和が実現しているはず。しかし、実際はそうではなく、経済格差や環境破壊、戦争やテロ、人種差別などなど問題は山積みです。つまり、仏様の教えは私達の「心」に蓄積していくべきで、それでこそ生きていく上での心得となります。

 

よって、仏様の教えと接する時は「頭」を使うのではなく「心」を使うのが重要なポイント。これは仏様の教えを聞く時もそうですが、仏様の教えを話す、伝える時も同じです。「頭」を使ってアレコレと考え、仏様の教えを話し出すと、理屈ばかりの話になってしまいます。そういった話は理路整然としていて、教えの体系や仕組みなどを理解する上で役立ちます。ただ、それによって心が動く、感動するといったことは起こりにくいものです。

 

人は「心」が動いた時や変化した時に、行動や言葉、思いに変化や成長が見られます。そして、人の「心」を動かすのは、やはり「心」をもとに仏様の教えを語り、伝えた時です。もちろん、その話を「頭」だけを使って聞いていると、どうしても受け止め方が冷めた感じになります。やはり「心」を使って話を聞き、受け止めることによって、私達の「心」は大きく動き、変化するもの。そうすれば自然と行動が変わり、言葉が変わり、思いの一つ一つが変わり、生き方そのものが変わるのです。

 

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