ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-04 10:21

12月4日の隆宣寺日記

「魔が差す」

人として間違った思いが、思いがけず起きてしまう。いわゆる「出来心が起きてしまう」ということ。これは誰にでも起こり得ることで、決して他人事ではありません。普段、なんでもない時であれば、そういう思いが起きることもないでしょうし、たとえ、そういう悪い思いが湧いてきたとしても、実行には移さないものです。

 

しかし、普段とは違う異常事態、緊急事態となれば、話は違ってきます。人生が行き詰まる、経済的に苦しくなる、心の余裕がなくなる、体調が悪くなる。そういった困難な状況に陥ると、心の隙間ができてしまい、悪い思いが生じてしまう。まさに「魔が差す」瞬間であり、その思いを行動に移してしまうブレーキも効かなくなります。自分で《自分の心》をコントロールしようとする生き方だと、そうなってしまうことが多々です。

 

このブログで何度も書いていますが、自分を基準にして《自分の心》をコントロールしていると、自分自身がブレてしまった時に「自分自身のズレや間違い」に気づくことができません。自分自身のズレや間違いに気づける人とは、絶対にブレない基準を持っている人だけです。残念ながら、人の心は《無常》であり、空に浮かんでる雲のように常に変化をしています。つまり、自分を基準にして《自分の心》を正しく判断すること、コントロールするのは不可能です。

 

「自分は心が強いから大丈夫」と信じて疑わない人もあるかもしれません。でも、それは時として「独りよがり」「独善的」である可能性があります。正しく、真っ直ぐ生きていく上で、心の「強さ」「弱さ」は大した問題ではありません。それよりも、常に変化している無常の心を、正確に把握できる基準を持つことが重要。《自分の心》を正しく知ることのできない人は、自然と言葉や行動も間違えることになります。

 

特に、感情的になってしまいやすい異常事態、緊急事態においては余計です。こんな時にこそ冷静になることが大切で、そのためには現状を正しく知ることが先決。「仏様の教え」という定規をもとにして、自分の心や言葉、行動を振り返る。そして、不足しているものは補い、余計なものは削ぎ落として、歪んだものは矯正する。大変な時こそ心を見直す時、心をリフレッシュさせて、人生をリスタートさせる時です!

 

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