2021-09-27 10:01
9月27日の「毎日ぶっきょう」
「人に忠告する」という行為は慈悲がないとできません。その人のことを思えばこそ自然とさせていただける行為。よって、自分が言いたいから忠告するのではありません。その人にとって必要だからこそ私たちは忠告するのです。
もし「自分が言いたい」というのを動機にしてしまうと、言いたくない時、言いたくない事は、言わなくなります。でも「その人にとって必要」という動機を持っていると、慈悲さえあれば、どんな事も忠告できるようになります。
人は十人十色、千差万別ですから、しっかり相手を見て、その人に応じた内容・時期・手法を個々にカスタマイズ。試行錯誤を繰り返しながら、相手に響く忠告をしていく。これもまた「慈悲」あってこその行為であるといえます。