ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-03 12:46

7月3日の隆宣寺日記

「初心忘るべからず」
よく耳にする言葉ですが、実に難しいことだと思います。もちろん、頭ではよくわかっていることです。でも、初心を忘れず物事に取り組み続けることは難しい。なぜなら人は経験を積むたびに慣れていくからです。慣れること自体は何も悪いことではありません。そこから自信がついてくることも成長の証です。ただ、その「慣れる」が《悪慣れ》になったり、その「自信」が《慢心》になったりするから難しいのです。
 
私の師匠がいつも仰っていました。
「人間ってのは慣れてくると、すぐ御山の大将になってしまって、何かと人のことを言うようになる。そういうことじゃアカンのや。」
 
こんな事もわかるようになってきた、こんな事も出来るようになってきた。すると、今までよりも1つも、2つも上の自分になったと思うものです。でも、そこで勘違いをして「自分はあの人より上」「あの人は自分より下」というような思いが湧いてきて、随分と態度が変わってしまう。そこに一体どれだけの謙虚さや努力・精進の姿があるでしょうか。
 
「心・技・体」という言葉があるように、たくさんの知識や技術を備えるだけで一人前だとは言えません。長い年月を経てこそ培われるものもあります。辛い体験、苦い経験によって得られるものあります。色んな人達との出会いも私達を成長させてくれます。そう思えば、人生いつだって初心な訳です。若手の人には、若手なりの初心があり。中堅の人には、中堅なりの初心があり。たとえベテランであっても、ベテランの初心があります。
 
「ここがゴール」と思った瞬間に成長は止まります。あとは、ズルズルとダメになっていくばかりです。物事の形骸化は、まさにその象徴と言えます。いつまでも、どこまでも真心を込めて、初心らしく生きていきたいものです!
 
《15年前の今日の出来事》
15年前の7月3日は私の得度式でした。式典後のお祝い会ではバケツをひっくり返したような大雨で、時折、激しく雷鳴が轟くという特殊効果付きでした(笑)本当に、ここまで何とか御奉公させていただけたのは、今は亡き師匠・日開上人のお陰、諸先輩方のお陰。そして、ご信者の皆さんのお陰です。廣宣寺を離れる際の、お別れ会の挨拶で「これからは全国規模で有名になってみせます!」と大口を叩いたのですが、少しは実現できつつあるでしょうか。いずれにしても基本が一番大切ですから、毎日、黙々と御宝前のお給仕と御看経に徹しておられた日開上人のお姿を常に心のド真ん中において、これからも更に精進をしていきたいと思います! 
 
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