ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-01 10:56

7月1日の隆宣寺日記

「命あっての物種」という言葉があるように、命あればこその人生です。そう思えば、世の中のどんな財産よりも価値がある。だからこそ《命》は大切にしないといけません。たとえ、価値があることを頭ではわかっていたとしても、実際に大切にできていなかったら、まさに「猫に小判」「豚に真珠」ごくごく当たり前のことですが《命》を大切にしながら毎日を生きる。これもまた仏様の教えに沿った、正しい生き方なのです。
 
なにしろ、私達の命は授かりものですからね。自分一人で作り出したものでもなければ、自分一人で維持できるものでもありません。両親を始めとした、ご先祖から続く命であり、この世の無数の命によって育まれた命であり、また、この世の誰かを支える、誰かのための命…つまり、自分だけの命ではないということ。そういう《命の感覚》というか《生きるセンス》を是非、磨いて欲しいと思います。これもまた仏様の教えと共に生きることによって養われていくものの1つです。
 
そうやって命の価値が本当にわかってくれば、ただただ、命を消費するだけの人生では勿体無いことに気づけます。世のため、人のために、自分の命を使わせていただく。それが結果的に「徳を積む」ということになっていきます。いわば、自分の命を《徳》に変えながら生きていくということ。普通であれば、使って終わり、消費して終わりですが、そうではない命の使い方、そういう生き方がある訳です。
 
そこまで私達の命を昇華させるハタラキが「南無妙法蓮華経」にはあります。そういう教えが法華経では歴然として説かれています。それは単なる夢や理想ではなくて、そこにあるのは事実のみです。だからこそ、私達のような者であっても徳が積ませていただける。ただただ命を消費して終わる人生ではなくて、この一生を通して自分の命を《徳》に変換しながら生きていける。そして、その《徳》を背負って、来世・次の生涯へと向かっていける。そう思えばこそ、一日の命ほど価値あるものは、この世には存在しないのです。
 
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