ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-07-07 10:27

7月7日の「毎日ぶっきょう」

「金メダル獲得」を目標にするか、それとも「金メダルが獲れる選手になること」を目標にするか。前者は《結果》そのものに焦点を合わせ、後者は結果を生み出すための《原因》に焦点を合わせています。もちろん「金メダル獲得」という《結果》を目標にすれば、そのために何をすべきかという考えに至ります。ただ、極端な話、《結果》を目標にすると「結果さえ良ければ、それでよし」ということにもなりかねず、実際に「金メダル獲得」という結果を手にした瞬間、その目標は役割を果たして「終了」となってしまいます。

 

一方、目標を《原因》である「金メダルが獲れる選手になること」にすると、一体何をなすべきかは明確です。必要な知識と技術を学び、それらを体得するまでコツコツと練習を積み重ねていき、確実に場数を踏んでいく。そのプロセスを歩むこと自体が目標達成になっていて、最終的に「金メダル獲得」という結果につながります。そして、その後も「金メダルが獲れる選手」であり続けるために、いつまでも目標として掲げることが可能です。たとえ金メダルが獲れなくても、相応の実力を身につけることが出来ていれば、何一つ遜色は無いと言えます。

 

これは仕事や勉強、どんな事でも同じことが言える訳で、常に《原因》と《結果》は表裏一体、同時進行ですが、どちらに焦点を合わせるかによって、たとえ同じ物事に取り組むにしても目的意識が随分と違ってくるものです。もちろん、ご信心、信仰においても同様で、何かと「御利益!御利益!」と結果ばかりを追い求めるのではなくて、自然と御利益がいただけるような「正しい生き方ができる人になること」を目標にすることが大切だと言えます。宮沢賢治『雨ニモマケズ』の最後に「そういう者に私はなりたい」とあるように、そんな日々を送りたいものです。

 

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