ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-01 11:07

12月1日の隆宣寺日記

仏様の慈悲は、誰に対しても平等に注がれています。それは太陽の日差しや、空から降る雨と同じです。特定の場所だけを太陽が照らしたり、雨を降らしたりしません。しかしながら、この絶対的平等だけでは必ず不平等が起きます。たとえば、大人も子供も全く同じ食料だとバランスがおかしいですし、元気な人も病気の人も全く同じ仕事量だと、これまた不具合が出ます。

 

そう思うと、基本姿勢は「みんな平等」であったとしても、時と場合によっては「それぞれに相応しい平等」となるように、平等のあり方を考え、バランスを取っていく必要があります。それは仏様の慈悲についても同様で、同じ慈悲であっても特別な慈悲。「大慈悲(だいじひ)」という最も大きな慈悲を施される場合があります。その対象となるのが《現代を生きる私達人間》なのです。

 

仏様がいらっしゃった時代は、仏教的素養の有る人が多かったのですが、仏様がお亡くなりになった後は、次第にその素養は失われていきました。そして、次第に人々の心は自分自身の欲望に振り回されるようになっていき、自分で自分を苦しめ、また他の人も苦しめ、苦しみ合う世の中となりました。そんな時代を「末の世(すえのよ)」「末法(まっぽう)」と言い、仏様は、この時代に生まれる私達に対して、最も大きな慈悲を向けられたのです。

 

その慈悲の結晶こそが「南無妙法蓮華経」の御題目。この御題目の中には、仏様の悟りそのものが全て込められてあります。つまり、私達では到底、手にすることのできない《悟り》を「南無妙法蓮華経」と唱えることによって手にすることができる。それだけ大きな徳を積んで、人生をより良くしていくことができる。その御題目を、この世にお弘めになったのが「日蓮聖人」なのです。

 

仏様の最も大きな慈悲をいただける「南無妙法蓮華経」いわば、最も大きな功徳が積めて、最も御利益をいただきやすい。仏教の中で最も有難いのが「南無妙法蓮華経」なのです。末法は「悪世(あくせ)」とも言われ、悩み苦しみの多い時代ですが、そうであればこそ、最も救いの有る時代、夢や希望の有る時代と言えます。そのためにも、仏様の大慈悲の結晶である「南無妙法蓮華経」を唱えましょう♪

 

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