ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-07-13 10:17

7月13日の隆宣寺日記

私達の心の中には「頑張るぞ!」「続けるぞ!」という前向きな《精進(しょうじん)の心》がある一方で、「楽をしたい」「しんどいことはイヤ」という後ろ向きな《懈怠(けたい)の心》いわゆる、怠(なま)け心があります。いわば、どちらの可能性も私達にはあるということです。
 
もちろん、自分自身で《精進の心》を選んで、その心のままに突き進めることに越したことはありません。でも、それがなかなか出来なくて困ってる人、悩んでる人、自分で自分がイヤになってる人は少なく無いと思います。どうしても怠け心に負けてしまって、あとあと後悔をしてしまう。そんな経験が一度や二度…もしかしたら、それ以上あるかもしれません。
 
じゃあ、どうすれば《精進の心》が選べるようになるでしょうか?手段・方法はいくつかあると思いますが、オススメしたいのは「いい仲間と時間を共にする」ということです。自分一人だけでは、貫き通せない思いも、周囲に《精進の心》を持っている人、《精進の心》を持とうとしている人がいると、その良い影響を大いに受けて「ここ一番という所で踏ん張りが効く」「モチベーションが維持できる」といった効果が期待できます。また、そういう私達自身の頑張りが周囲にも伝わることで、自然と相乗効果が生まれ、いつしか切磋琢磨し合える《同志》となれます。
 
ここまで来れば、良いサイクルの中で《精進の心》をキープしながら、更なるステップアップも大いに期待できるようになります。そう思うと「どういう人と時間を共にするか?」という選択は、自分の運命を大きく左右するほどの選択だと言えます。人生は有限で、誰もが平等に1日24時間です。一体、誰と時間を共にするかは極めて重要なことだと言えます。もちろん、選択できない場面もあると思います。だからこそ、選択できる場面では、しっかり考えないといけません。
 
私達の体は、ある時を境に老化の一途を辿ります。こればかりは決して逆らえないことで、むしろスンナリ受け入れるべきことです。しかし、精神的な面、心の面は違っていて、死ぬまで常に成長ができます。そして、その成長こそが、年老いた時の【人生充実度】を決定づけます。いわば、老後の日々は、それまでの精進の賜(たまもの)なのです。
 
その時に「あぁ、しまったなぁ…」と後悔してしまうのか、もはや後悔の念が起きることもなく、好き勝手な言動を繰り返して、周囲から哀れまれたり、疎まれたりする羽目になるのか。それとも日々、心豊かに充実した時間を過ごすことができるか。その土台づくりが今、もう既に始まっているのです。《精進の心》と共に日々を生きていけるように、ぜひ、お寺という環境に身を置きながら時間を過ごして欲しいと思います!
 
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