ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-06-30 10:43

6月30日の隆宣寺日記

「正直者が馬鹿を見る」
そんな風に見えることもあるかもしれません。でも、それは長い人生の中で、ほんのひと時です。やったことは必ず自分に返ってきます。どんなに紆余曲折あったとしても、最終的に「馬鹿を見る」のは、道から外れた人。そして、正直者は必ず報われる日がやってきます。
 
そのためにも、決して悪い事をしてはいけません。どんなに善い事を積み重ねたとしても、その一方で、悪い事をしてしまえば台無しになります。「なんで私ばっかり…」「割りに合わない!」そういう思いから、ついグチがこぼれたり、人を批判したり、感情的な態度をみんなに見せてしまうことは、折角の善い行いを自分の手でダメにしてしまいます。
 
善い事をして徳を積もうとした時、どこか損に見える、損に感じる。これが私達の損得勘定です。なぜなら、自分の時間・体力・お金を《徳》に変換する訳ですから、その分だけ、時間・体力・お金が減る、自由に使えない。そういう風に、頭の中で計算をしてしまうのです。でも、その時間・体力・お金は消えて無くなった訳ではありません。《徳》という目に見えない財産に姿形を変えただけなのです。
 
その《徳》が積もり積もれば、必ず自覚できるようになります。「やっぱり《徳》を積んでおいて良かった!」と喜べる日がやって来る。それは決してお金だけでは手に入らないものであったり、自分の時間や体力をつぎ込むだけでは実現できないことであったり。まさに、自分自身が《徳》を積んだからこその結果、成果です。その時に、あの日、あの時の「自分ばかり損をしてる」という感情は、自分の勘違いであったんだと気づけるようになります。そこで、ようやく「徳を積む」ということが本当に理解できる、合点がいく。
 
徳が身につけば、物事が自然と動き始めます。
「どんなに欲しがっても手に入らないものが、自然と近づいてくる」
「どんなにイヤがっても追い払えないものが、自然と遠のいていく」
この道理を知らずにいる間、つまり「徳を積む」ことを知らずにいる間は、幸せを追いかければ追いかけるほど、幸せは逃げていくばかり。不幸を追い払おうとすればするほど、不幸にまとわりつかれる。
 
そこで仕方なく、道から外れた行いで何とかしようとしてしまう。すると、どんどん《徳》は失われ《罪》ばかりが積み重なります。一見、何とかなった、何とかできたと思い込みがちですが、それは本当に、ほんのひと時の儚い夢のようなものです。目が覚めれば、更に悪くなった現実が目の前に広がります。だからこそ、正直にコツコツと徳を積み続けることが人生の王道なのです。
 
近道も裏道も無い人生だからこそ、正直者は馬鹿を見ない!最後の最後で笑えるように、徳を積みながら生きていきましょう♪お寺で《徳積みライフ》を!!
 
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