ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-05-27 10:47

5月27日の「毎日ぶっきょう」

「因果の道理」とは、原因があれば結果が生じるということであり、何かしらの結果が生じているということは必ず原因があるということ。そして、良くも悪くも、原因をつくった本人に結果が訪れるものであり、これを「自業自得(じごうじとく)」とか「因果応報(いんがおうほう)」とも言います。つまり、自分の人生をつくっているのは自分自身であるというのが大原則なのです。

 

この「因果の道理」を耳で聞いて、頭で理解できる人は多いのですが、心から納得して、それを人生に活かし切っている人は少数派だと思います。特に「理不尽だなぁ」と感じた時、私達はその原因を他者に求めがちです。しかし、そうやって責任転嫁した瞬間、その部分の人生を放棄したことになります。自分の人生なのに誰かのせいにしたら、もはや、自分の手に負えなくなるのです。

 

もしかしたら、そうやって責任を丸投げしてしまった方が、気は楽かもしれません。もはや自分で考える必要もないし、努力する必要も、工夫する必要もありません。「〇〇のせいだ」と言い続けている間は、いつまでも「〇〇」の問題だからです。しかし、それは「〇〇のせいだ」と言って、現実から目を逸らし、逃げているだけ。ただ時間だけが過ぎるだけで、問題は相変わらずか、着実に悪化するかのどちらかです。

 

この話をズバリとすると、大抵の方は眉を顰(ひそ)めて、不機嫌な顔をする方が多いと感じます。しかし、人生におけるどんな出来事も「自分のことなんだ」と認識してこそ、全てが始まります。人のせいにしたくなる、グチの1つや2つこぼしたくなる、それは心情として十分に理解できますが、せめて、自分の頭を使って解決策を考え、自分の手足を使い、時間を費やして自ら人生を歩むべき。そうやって歩み続けた先に、私達の未来がつくられていくのであり、これが唯一の解決方法なのです。

 

東日本大地震が発生した直後の、とある中学校の卒業式で読まれた答辞が今も私の胸に刺さっています。

「時計の針は14時46分を指したままです。でも、時は確実に流れています。生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません。 命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。」(気仙沼市立階上中学校卒業式・答辞の一部を抜粋)

 

自然災害とは言え、これだけの悲劇に実に多くの大人が嘆いていましたが、その空気を一変させた答辞。大粒の涙を何度も流しながら、途中、嗚咽しながら、力強く答辞を読み上げる姿は、本当に立派でした。人生には色んな出来事があって、納得いかないこと、受け入れたくないことも、たくさんあると思います。それでも、そこから先の人生をつくっていくのは、今日の自分であり、どこかの誰かさんではありません。だからこそ、まずは「自分の事」として全てを受け入れる、そして前を向いて歩み続けるのが人生なのです。

 

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