ほんもんぶつりゅうしゅう

2021-06-24 13:34

6月24日の「毎日ぶっきょう」

大きなケーキを切り分ける時「どれが一番大きいかな?」と真剣な眼差しを注ぐもので、それは何も「お父さんのために大きいのを取ってあげよう!」というためではありません。単純に自分が「1ミリでも1グラムでも大きなケーキを食べたい!」という願望の表れです。小さな子供がそのような態度でいることは、どこか微笑ましく、思い出の1ページになりますが、いい歳をした大人が血眼になったり、それがお金の問題だったりすると、あまり笑えません。

 

しかし、人間というのはそもそもエゴの塊で、自分が一番かわいくて、一番大切にしたいものです。たとえば、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』という作品は、人間の本性を赤裸々に描写しています。主人公カンダタは自分のエゴを通すためであれば手段を問わず、人の命を殺めることもありました。そんな生き方が仇となり、カンダタは命が終わった後に地獄へと堕ちる羽目になってしまうのです。それでも仏様の慈悲は深く、なんとかカンダタを改心させて、救ってやりたいと願われたのでした。

 

そこで仏様はカンダタの心に眠る良心にかけてみることにするのですが、それはカンダタが生前に「蜘蛛を踏み殺そうとして思い止まった」「蜘蛛にも命があると思い返した」という僅かな良心です。地獄で苦しむカンダタの目の前に蜘蛛の糸がたれてきて、それを頼りに地獄から抜け出そうとします。助かりたい一心に蜘蛛の糸をのぼり続けるカンダタ、気がつけば遠くに明るい光が見え始めました。「助かるかもしれない!」「これで地獄ともおさらばだ!」と思った瞬間、魔が差してしまいます。

 

ふと、目線を下へやると、地獄で苦しむ者たちが「自分も助かりたい!」と蜘蛛の糸にすがっています。カンダタ一人でも切れそうな細い蜘蛛の糸なのに、無数の者が必死にのぼっているではありませんか。その時、カンダタのエゴが出てしまいます…「おりろ!これは俺のものだ!今すぐおりろーっっ!!」次の瞬間、カンダタの目の前でプッツリと糸が切れてしまい、あっという間に地獄へと逆戻りとなりました。仏様は、その様子をご覧になって、とても悲しそうな顔をされ、その場を後にされたというお話です。

 

蜘蛛の糸はどうして切れたのかというと、実は「カンダタが自分で切ってしまった」と言えます。「自分さえ助かればいい」「そのためであれば他人の犠牲はいとわない」というのは鬼と同じの心。鬼の居場所は地獄ですから、カンダタは自分のいるべき場所へと自ら舞い戻ったということです。これは現実世界でも全く同じで、エゴを通そうとする心と言動が他人を害し、自分をも害します。知識や技術、お金があっても、他人を思いやる心が足りないと、平和や幸せは成立しないのです。

 

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