ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-10-01 10:14

10月1日の隆宣寺日記

お金の使い方にも、知識や技術の使い方にも、いい使い方・悪い使い方があります。そして、その使い方を決めているのは、自分自身の心です。同じ千円でも、いい使い方をすれば、それ以上の価値が生まれます。反対に、悪い使い方をすれば、人に損害を与えることにもなります。素晴らしい知識や技術についても、全く同じことがいえます。
 
残念ながら、世界や国内の状況を見ても、身の回りの人々を見ても、悪い使い方、間違った使い方、勿体ない使い方をしてしまっているが故に、折角の価値を台無しにしていること、周囲に迷惑や悪影響を与えている場面があります。それは得てして、独善的であることが多いように見受けられます。つまり、自分にとっては「いい使い方」なのだと思い込んで、全く疑わない状態です。
 
大切なことは、みんなにとって「いい使い方」であることであり、みんなにとって「悪い使い方」を避けなければならないということ。もし、それらが自分の価値観と合わないとするならば、是非、自分の価値観や判断基準を見直すキッカケにして欲しいと思います。そうでなければ、いつまで世の中や他者を否定してしまうことになるからです。
 
もちろん、人間が決めたルールや当たり前は、必ず公正であるとは言い切れません。なぜなら、大多数の人が賛成したことであったとしても、間違いは間違いですし、独裁者の圧倒的権力によって間違ったルールが定められることもあるからです。どんな社会でも、どんな時代でも、1センチの長さは決して変わらないのと同様に、仏教とは、どんな社会でも、どんな時代でも決して変わることのない、この世の真理です。
 
つまり、仏教を基準、物差しにして自分の価値観や判断基準を疑ってみる。そうやって万人が同じ物差しを持って、心の軌道修正をしていけば、いい使い方・悪い使い方も、同じ認識となっていくものです。まず、そこがそろい始めてこそ、世の中は1つになっていくことができます。国でも、地域でも、家族や会社、いかなる組織においても同じことが言えます。
 
お金があるだけではダメ、知識や技術があるだけではダメ。もっと言えば、お金に使われる、知識や技術に使われるようではダメ。正しく、有効に使える、そういう価値観や判断基準を身につけてこそ、お金、知識や技術といった財産は、本来の価値を発揮できるようになります。何はともあれ、人は《心の財産》を身につけていくべきではないでしょうか。
 
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