ほんもんぶつりゅうしゅう

2020-12-02 13:05

12月2日の隆宣寺日記

ここ最近になって、強く感じていることがあります。それは「師匠のお徳を汚さない」ということです。来年3月には師匠の3回忌を迎えますが、つくづく思います。「これから先、師匠のお徳を守るのは自分達だ」ということを。もし、私の言動が良い評価であるなら、それは師匠のお陰であり、反対に、私の言動に問題があるのなら、それは師匠の責任になるのです。つまり、私の言動は「自己責任」ではなくて、師匠の責任でもあるということ。そう思えば、身勝手な言動は許されず、常に弟子としての自覚が必要なのです。

 

そもそも、弟子の使命とは師匠の教えを守り、実践することに尽きます。それ以上もなければ、それ以下もありません。中には、師匠のことを批判する人もありますが、弟子は教わる側なので、教える側のことを言える立場にありません。もちろん、師匠がきちんと教えなければ、それは師匠の責任になります。ただ、それは教える側の問題なので、弟子に発言する資格はないのです。そのことを知ってから知らずか、師匠を批判する人は少なくありません。教わる立場であることを弁えない言動は、師弟関係の破綻を意味しています。

 

残念ながら、そういう方で、立派な人を見たことはありません。師弟関係、教える側・教わる側の関係を自ら破綻させている人は、結局、自分が師匠であり、どこまでも我流であり、成長や進歩は望めません。大切なことは、どこまでも師匠にお仕えする、師匠の教えを守ることです。人のことをどうこう言う前に、まず自分自身の《弟子》としての言動を改める。《弟子》としての成長を試みる、師匠の教えを守り続ける、師弟の道から外れない。師匠を《師匠》と敬うからこそ、自分自身も《弟子》として成り立ちます。才能の有無は人によりますが、努力の有無は弟子である私達自身の思い1つです。

 

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