ほんもんぶつりゅうしゅう
2018年09月21日
日蓮大士御降誕八百年 記念シリーズ その2 立教開宗の宣言前後

Q 日蓮聖人はどのような確信を懐いて、どのようにご弘通、布教活動を始められたのですか。

 長年にわたる仏教研讃の結果、日蓮聖人が得られた結論は、あまたある仏教経典の中でも、法華経(妙法蓮華経)こそが、釈尊のご本意の説き明かされた真実教であり、今、末法という時代においては、法華経の魂ともいうべき要法、上行所伝の御題目、南無妙法蓮華経を我も唱え、他にも勧める信行のあり方こそが凡夫、下機の衆生が成仏得道の果報にあずかる唯一の道であるというものでした。
 聖人はこの確信を胸に懐きつつ、故郷安房の土を11年ぶりに踏まれます。そして建長5年4月28日、清澄山の一角にお立ちになり、太平洋のかなた、水平線より昇りくる朝日に向かい、声高らかに御題目をお唱えになり、立教開宗の宣言をなさったのでした。
 聖人はこの立教開宗の日より、その名を「日蓮」と改められました。法華経の第21章、如来神力品の「日月の光明のよくもろもろの幽明が除くが如く、この人世間に行じてよく衆生の闇を滅し」の御文から「日」の一文字を、第15章、従地涌出品の「世間の法に染らざること、蓮華の水に在るが如し」の御文から「蓮」をいただいてご自身の名とされたのですが、まさに末法濁世を救い人々を導くべく出現された本仏釈尊の使者にふさわしい御名といえましょう。
 聖人は立教開宗の宣言をされたあと、まずご両親を教化され、父君には「妙日」、母君には「妙蓮」という法名を授けられたのち、故郷の人々に法華経本門の教えに基く御題目口唱の行こそ、末法相応の成佛の道なる旨を説かれましたが、念仏信者であった地頭の東条景信はこれを聴いて激怒し、聖人に危害を加えようと企てます。この不穏な気配に狼狽(ろうばい)した師、道善房は聖人にこの地を立ち去るよう勧めました。昔より「予言者はおのが故郷において尊まれることなし」といいますが、聖人もまたその例外ではなかったのでした。