2022年01月01日

新本堂落慶開筵式を無事に奉修 コロナに負けず講有親教盛大に勤まる

第11支庁・播但布教区・明石扇陽寺において新本堂落慶開筵式が奉修された。
扇陽寺の濫觴(らんしょう)は昭和17年、「明石教会」が設立されたことに始まる。戦前の弘通は活発であったが、第2次世界大戦により明石も焦土と化し、弘通は壊滅。その惨状の中、先住・石田日央上人の筆舌に尽くしがたい苦難のご弘通ご奉公が始まった。
昭和23年、東仲野町に待望の弘通の拠点を得、再び「明石教会」の看板が掲げられ、同26年、本山宥清寺末「扇陽寺」として寺号公称。昭和29年には当地を買収し、41年に新本堂を建立、引き続き開筵式を盛大に奉修。
昭和56年、高祖700回御遠諱には、庫裡・客殿・納骨堂の建立。平成8年には先住日央上人から現董(とう)・山岡日舟師へとご奉公が委嘱されたのである。
以下、新本堂建立の経過が述べられた住職・山岡日舟師の挨拶を掲載させていただく。
 「私ども扇陽寺教講一同は、新本堂の建立を佛立開導日扇聖人ご生誕200年の記念事業として発願し、平成28年7月に開堂式を奉修し、昨年改めて佛立第26世講有日良上人をお迎えし、新本堂落慶開莚式をコロナ禍の大変な時期にも関わらず、有縁の教講各位のご参詣を賜り奉修させていただけましたことは、誠に感激の極みでございます。厚く御礼を申し上げます。
 さて、憶えば昭和44年4月29日に、旧本堂落慶開莚式を佛立第16世講有日幹上人をお迎えして以来、此度は53年目の2度目の開莚式でございます。その間には、あの平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の被害を受けて、本堂の一部を修復して過ごしましたが、これからのご弘通を鑑(かんが)みますと、どうしても境内地が狭くては将来の弘通活動が充分に生かされないという思いがあり、境内地拡張が必要との思いで隣接地入手の御祈願を永年させていただいておりました。
 実は当山の境内地の半分は、戦後に引かれた朝霧二見線の道路計画予定地に入っておりました。そこで何とか東側の明石市所有の隣接地駐車場の払い下げを市に陳情しておりましたが不可能な状態でした。
 しかし、平成25年に突如として明石市の道路計画見直し案が浮上して、驚くことに道路計画が取り消しとなりました。そこで、本堂建て替えを条件に隣接地の一部払い下げを受けることになりました。このような流れで急遽でしたが新本堂建立の運びとなり、総事業費6億円(土地取得費を含む)の予算で建設をすることに決まりました。
 時恰(あたか)も高祖日蓮大士ご降誕800年の記念の年に、こうして開莚式を奉修できましたことは、御宝前のご加護はもとより、信徒一丸となっての異体同心のご奉公、また有縁の教講各位の物心両面に亘る温かいご支援のお陰でございます。
 この上は、等山教講一同さらに信心を引き締めて、蓮隆扇三祖の御本意に叶うように、ご弘通ご奉公の決意を新たに精進させていただくことをお誓いさせていただきます」

かくして新本堂落慶開筵式は、コロナ禍の中ということで三大会に分散し、令和3年4月11日(第一会、奉修導師・山内日得師)、7月25日(第二会、奉修導師・宮本日孝師)、11月7日(第三会・奉修導師・石田日奥上人、第四会・奉修導師・御講有上人)と三大会に併せて計四座の奉修であった。
仏天のお計らいはもとより、御講有上人ならびに奉修御導師方のお徳をいただき、4座ともすべて緊急事態宣言は解除され、快晴のお計らいをいただいた。
ことに、第三会・第四会は4日前まで「週末は雨で大荒れ」の天気予報であったが、見事にお天気が一転、お出かけ指数百パーセントの秋晴れの中での無事奉修に、扇陽寺教講一同、心より随喜させていただいた。
おかげをもって、令和3年度教化誓願22戸のところ29戸のお供え教化が成就し、寺内信徒延べ1,001名(秋は参詣目標400名達成)、他寺院43ヵ寺より、お教務43師、ご信者293名のご参詣を賜り、総参詣者数延べ1,337名の盛大な開筵式となった。
扇陽寺教講一同は、御講有上人にお出ましいただいた、この新本堂落慶の日を機に、なお一層、信心改良させていただき「伝えよう高祖のみおしえを。育てよう次世代の信心を。」をスローガンに、次代に伝える・つなげる、教化・法灯相続ご奉公の「新たな出発」とさせていただく所存である。  (山岡清瑞記)