2016年02月02日

日本人で初めてエベレスト登頂を果たした松浦輝夫氏(大阪・本成寺所属)が帰寂

アルピニスト(登山家)の憧れの地ヒマラヤ。ここには7,200メートルを超える100峰があり、その内8,000メートル級の高山が14峰ある。パキスタンからインド、ネパール、ブータンと中国に至る2,400キロに渡る世界の屋根である。昨年11月6日に82歳で帰寂された松浦輝夫さんは、このヒマラヤに3度挑み、そして日本人初のエベレスト(世界最高峰8,848メートル)登頂に成功したご信者である。法号は「峰岳院教勲登頂日輝居士」。

 輝夫さんは、山登りに憧れて早稲田大学に進学。山岳部に入部して登山技術を磨き、昭和40年の早稲田大学登山隊に参加しローツェ・シャール(8,383メートル)に挑むが、頂上目前(8,100メートル地点)で登頂を断念。2回目は昭和45年、日本山岳会エベレスト登山隊に参加し植村直己さんと共に日本人初のエベレスト登頂に成功。3度目は昭和56年、早稲田大学登山隊の隊長としてK2(世界第2位8,611メートル)の登頂に成功。K2西稜ルートからの世界で初めての成功となり、その年の「朝日体育賞」(年間を通じて特に優秀であった個人・団体を表彰)を受賞。その後、登山家の第一線からは退き後進の指導と後援活動に努められた。

 特にヒマラヤ登山でお世話になったネパールの方々に少しでもご恩返しができるならと「松浦育英基金」を設立し、AAF(竹中工務店有志)が設立したネパールの学校の運営資金を贈られていた(現在も継続中)。松浦家は、輝夫さんの祖父・長太郎さんが奈良県吉野から大阪に出て、吉野の材木を商う松浦商店を設立。そのころ入信されて本成寺のご信者になられた。ところが輝夫さんの両親・長保夫妻が相次いで亡くなり、お店は輝夫さんの叔父が引き継ぐことになり、輝夫さんの養育も叔父の文雄、たき夫妻がされることになる。

 東京の早稲田大学卒業後は、実家の家業である松浦木材株式会社を、叔父と従兄弟と共に盛りたてた。38歳で独立開業後、単身屋久島で陶芸に没頭。屋久島移住10年後に一連の作品をお世話になった方々に贈呈された。そのことを聞きつけて作品を求める方があり、その代金と、各地で講演された謝礼などを合わせて基金を設立された。                              

 屋久島から大阪に戻られてからは、帰寂された叔父夫婦の代わりに、松浦家が所属する本成寺の西教区のお役中として、ご信者方のお世話をされ、信徒授級で「教勲」号をいただかれた。

 もともと頑強な身体であったが、昨年2月に白血病(慢性骨髄異型性症候群)となり、2週間の入院と点滴治療、3週間の自宅療養を繰り返され、7月には臨終近しを覚えて、家族で故郷の吉野に旅行し、11月6日に帰寂された。

 通夜告別式は自宅近くの式場で、本成寺住職・北村日鏡上人導師のもと厳かに営まれ、400人を超える会葬者が別れを惜しんだ。12月12日には早稲田大学山岳部と日本山岳会主催による「お別れの会」が東京で営まれ、出席された妻の和子さんは「大勢の先輩や後輩やご列席の方が、和やかにお別れを告げて下さるお姿を拝見し、主人が幸せな人生を送らせていただいたことに感謝の心をしみじみと感じました」と語られた。

 松浦輝夫さんが、次生で新たな山岳を目指されんことを念じ、追悼の意を表します。