ほんもんぶつりゅうしゅう
2016年10月01日
佛立第15世講有日晨上人御33回忌を厳修。講尊・日誠上人が思い出を語られる
昭和58年8月31日、法寿85歳を以てご遷化遊ばされた佛立第15世講有・乗泉寺第19世住職・日晨上人の御33回忌法要が、去る8月30日、御講尊・小山日誠上人ご親修のもと厳修された。

 一座法要お看経の中、信廣会幹事長・白石日柔師が日晨上人御遺影の前に立ち「乗泉寺及び門末信廣会の御33回忌報恩ご奉公として、
①東日本大震災の復興支援活動、
②弘通研究班の活動、
③乗泉寺・信廣会「入信之証」の授与式、
④「信廣会規定改正」と「乗泉寺後任住職推挙規定」改訂、
⑤信廣会「大本寺奉仕」開催、⑥「日晨上人御法門帳」の発刊の六項目を推進させていただきました」と報恩ご奉公奉告を言上された。

続いて信廣会相談役・川井日陵上人が御遺影の前に立たれ「日晨上人の御法門帳を拝写し『信照法談・お筆跡を偲んで』と冠して記念出版させていただきました」と『信照法談』を奉呈された。
 一座法要お看経、「日晨上人の歌」斉唱後、親族を代表して西村日要師が挨拶を、乗泉寺住職・永江日盡師が御礼の挨拶を述べられた。

 続いて御講尊・小山日誠上人より
「日晨上人は雲の上の方のような存在でございましたから、ご生涯を一口でご紹介させていただくということはとても、とてもできません。そこで今日は、宗門と乗泉寺に関することで、私の知るところをご紹介させていただきます。
 日晨上人は大正11年日歓上人のお目にかなって乗泉寺副住職になられ、翌年には恩師のお嬢様と結婚され田中姓を名乗られ住職に就任されました。大正大震災の後いち早く復興に着手され、昭和初期には強信者一万戸という誓願をお立てになりまして、その結果、23,000戸に達しました。
 昭和20年・終戦の時、5月25日、麻布の本堂も空襲で焼かれてしまいましたが、日晨上人は直ちに仮本堂を建立されるとともに、地方に疎開をしていた信徒の元にお弟子を派遣されまして、百ヵ寺に及ぶ末寺が建立されました。昭和24年には乗泉寺を、ここ、渋谷の地に移されました。
 日晨上人は宗門にとりましても忘れられない大きな事跡を沢山残しておられます。本門法華宗から一宗独立を果たし、宥清寺を本山とされ、根本道場としてご弘通出来ることになりました。新しい宗門には、新しい規則が必要でございます。日晨上人は宗法作成のために、著名な宗教学者や弁護士等の先生方と日夜ご苦労を遊ばされまして、本門佛立宗宗法を制定されました。昭和38年、門祖日隆聖人500回御遠諱の年に第46世住職・佛立第15世講有に晋位晋山遊ばされました」と在りし日の日晨上人を偲ばれたのち「故郷へは錦をかざれ花の春 祖師の御前に開く総講」の御教歌で御法門を拝まれた。