ほんもんぶつりゅうしゅう
2020年12月01日
海外弘通だより~オーストラリア編 長谷川御導師 お見守りください 清流寺オーストラリア教区信徒の体験談
クイーンズランド組 光子ベイン、荒木香里

去る10月20日、八王子・清流寺住職であり、オーストラリア教区、米国教区の教区長でもある長谷川日堯導師がご遷化になりました。この度、長谷川御導師の薫陶を受けたオーストラリア教区の信徒2名が、横浜・妙深寺の高祖会(11月14・15日奉修)においてビデオによる体験談をご披露してくださいましたので、そちらを掲載させていただきます。

 ありがとうございます。清流寺オーストラリア・ クイーンズランド組の光子ベインと申します。
 私は2008年、当時1歳と4歳の息子たちを連れてオーストラリアに移住してきました。来たばかりの頃は知り合いもいない、頼る人もいない中、小さい子どもを抱えて不安ではありましたが、父である妙立寺先住・山村御導師から「とにかくお看経をさせていただきなさい」と教えられていたので、夕看経は家族そろって、1歳と4歳の息子たちも一緒に、時間は短かったですが、お看経を一緒にさせていただいていました。
百本祈願も何度も何度も自分に自信がつくまでさせていただいていました。そのおかげで、何も困ることなく、日本人子育てグループを知ることができ、お友達もでき、香里さんにも出会うことができたのです。
 ここからは私の初めての教化子であり、オーストラリアでのご弘通ご奉公に欠かせない存在となった、荒木香里さんにバトンタッチをし、香里さんに私との出会い、そしてこのご信心によって、どのように人生が変わっていったのかをお話していただきたいと思います。
 香里さん、よろしくお願いいたします。

 ありがとうございます。清流寺オーストラリア・クイーンズランド組の荒木香里と申します。今回は私がご信心を始めたきっかけや、その後の数えきれないほどいただいたご利益のいくつかをご披露させていただこうと思います。
 私は2009年6月に入信しましたが、最初にお看経を上げたのはその年の5月のことでした。教化親の光子さんと公園で出会ったのがきっかけでした。
 その当時、私の長男がまだ4歳で次男が2歳でした。当時の私は頼れる人がいない海外での生活の緊張感と、主人からの協力がまったく得られない中での育児や家事で、精神的に疲弊し、ほとんど限界のような状態でした。誰かに助けてほしいということもできず、毎日毎日孤独でした。ふとした時に涙が溢れ、車の運転中でも涙が止まらず、「このまま消えてしまいたい」「死んでしまいたい」とさえ思うようになっていました。
 そんなある日、光子さんが「香里さん、もう香里さんのこと見ていられないわ。一緒にお看経を上げてみない?」と声を掛けてくれたのです。
 日々、精神的に押し潰されそうな私を誰かが見ていてくれて、心配をして声を掛けてくれることが本当にありがたく、何の抵抗もなく光子さんと一緒にお看経を上げることをお願いしました。そのために、私と主人に一番近いご先祖さまの名前や命日を調べるように言われ、主人の祖父母の名前と命日を紙に控えて光子さんの家に向かいました。
 人生で初めてお看経を上げた日のことは今でもはっきり覚えていて、光子さんの隣で息継ぎの仕方もわからないまま、御題目を一生懸命お唱えしました。ご先祖さまの供養ができて、自分も救われるのであればありがたいという気持ちがあったので、ご回向させていただくご先祖さまに「この御題目でずっとご回向していきます。どうか私たちを守ってください」と心の中で伝えていました。
 その最中に、私たちの後ろに誰かがいる気配がありました。振り返るのもどうかと思い、お看経に集中していましたが、お看経を終えた後に光子さんにそれをお伝えすると、光子さんも同じように誰かの気配を感じていたとのことでした。
 不思議だなぁと思いながら家に帰ったのですが、お看経の時に私はもう一つ御宝前に向かってお伝えしていたことがありました。私たちの新居を建てるために、ローンで土地を買ったのですが、結局、売却したほうが良いということになり、買い手を探していました。
でも、なかなか買い手が現れず、どうしたらいいのか悩んでいました。「買い手がつくといいなぁ」と、どこかで思いながら御題目を唱えていたことが良かったのでしょうか。お看経を上げたその日のうちに、主人から電話があり、その土地に「買い手がついたよ」と連絡が来たのです。主人は大喜びでした。
 そのことを光子さんに報告させていただくと、光子さんもこんなに早く現証が起きたことに驚かれて、一緒に喜んでくれました。
 その日からずっと御題目のことばかり考えていました。
 そして、さらに数日後、朝は主人が犬の散歩に行くはずなのですが、その日は仕事の準備をいつもより早くするために、私が代わりに散歩に行くことになりました。散歩から帰ってきた時に、外から家の中をのぞいてみると、カーテンの隙間を通して、誰かがテーブルで新聞を読んでいる姿が見えました。
 仕事の準備をしているはずの主人が、まだ新聞を読んでいると思った私は家に入ると同時に「早く仕事に行くんじゃないの?」と急かすつもりで声を掛けたのですが、そこには誰もおらず、新聞はきれいに畳まれた状態でテーブルの上にあり、イスもきちんとテーブルの下に納まっている状態でした。当の主人はシャワーを浴びています。
 新聞を読んでいたのは、数日前にご回向をした義理の祖父だと直感で感じた私は、その日のうちに光子さんに連絡をし、もう一度、一緒にお看経を上げてほしいと頼みました。急ではありましたが光子さんは快諾してくだって、一緒にお看経を上げてご回向をしてくれました。
 何十年も前に亡くなったという祖父に関しては、それまでそれほど注目をしていませんでしたが、このご回向を機に祖父のことを聞いてみると、祖父は生前に銀行の頭取や日銀の副総裁などを経て志半ばの50代で亡くなった方でした。本を出版されたり、テレビにも取材を受けるなどして、祖父は偉大な方だったということが次々に判明しました。
 きっと祖父はそれまでの荒木家や孫である主人を心配し、もう一度あの当時の荒木家を立て直すためにご信心が必要だと思ったのではないかと感じています。だからこそ私を使って光子さんとのご縁をつなげたのではないか、その気持ちを受け取った側の私たちを守ってくれないはずはないと確信し、その気持ちに応えたくて、日々真面目にご信心、御宝前と向かい合っています。
 その気持ちに応えてくださるように、いくつものご利益をたくさん、たくさんいただきました。このご信心を始めて11年が経ちました。このご信心によって娘も授かりました。
 でも、このご信心をずっと間違いのない心で、まったくの謗法もなく、突き進むことは凡夫にとって本当に難しいことです。特にブリスベンにはお寺がありませんし、今とは違ってインターネットでお寺に気軽に相談することもありませんでした。
 その頃の私はだんだん別のことに心の拠り所を置くようになっていたように思います。ご信心を疑っていたということなのでしょう。ご信心をやめてもいいかもしれないと思ってしまったのです。
 そのタイミングで御宝前は私に御罰を与えてくださったのです。
 ある日の夕方、主人が受けていた病院の検査結果が出ました。結果は悪性リンパ腫ステージ3でした。その知らせを受けた日の最初の私の気持ちは目の前が真っ暗になるとか、どうしたらいいのかわからないというような気持ちではありませんでした。
 「こう来たか」と思いました。私の謗法、御宝前への裏切りが、こうやって芽が出たのだと思いました。誰のせいでもなく、私のせいで主人が病気になったと思いました。
 自分ではなく、主人が病気になったことがどういう意味なのか。「もう一度、お前が信心をやり直せ」と言われた気持ちでした。その日から私のお懺悔が始まり、御宝前に泣いて謝りました。
 私が悪かったこと。どうか主人を助けてほしいということ。当時、小学3年生、1年生と2歳半の子どもたちを守れますように…。必死で御宝前におすがりし、クイーンズランド州のご信者さんにもお伝えし、主人のためのご祈願をお願いしました。
 主治医の先生から「半年の治療を受ければ必ず治る。悲観的にならなくてもいい。また元気になれるようにがんばろう」と励ましていただき、抗ガン剤治療が始まりました。その副作用は凄まじく、主人の場合は吐き気、嘔吐が主なものでした。
治療中は決して楽ではありませんでした。副作用もあって時には不安と恐怖で叫ぶ時もありました。でも、私は御宝前や祖父が絶対に守ってくれるという確信があったので、私は冷静に主人を支えることができたように思います。
 主人の治療が終わった時、ガン細胞は身体から消え、しばらくは体力を戻すために仕事は休んでもいいと言われたにも関わらず、主人は時間を持て余すようになり、病気だった余韻を感じることなく、何事もなかったかのような姿で仕事復帰を果たします。
 御宝前の前でお懺悔し、信心改良を誓ったご利益は、家族をひとつにして道からそれずに前向きに生きていくという心をいただいたことだと思います。まだまだ、たくさんの現証ご利益をいただきました。またの機会にご披露できればと思っています。ありがとうございます。

 香里さん、ありがとうございました。
 まだまだ、香里さんには体験談があり、10分の1ぐらいしかお話しできていませんが、私がこの12年間のご弘通を通して感じたことは、ご信心で大切なことは「素直」「正直」「謙虚」です。
 今、クイーンズランド組には12名の信者とその子どもたち16名がいます。私たち海外に住む日本人妻にとって一番の問題は「心の拠り所がない」ということです。なので、私たちひとりひとりがそういう悩んで困っている人の心の声を聞き、助けになれたらと思い、ご祈願し、行動しています。
 もう一つ大切に思っていることは、社会の価値観が目まぐるしく変わっていくこの世の中で、絶対に変わることのないご信心で子どもたちを育てていくということです。なので、学校の休みの度に子どもたちみんなを集めてお助行させていただいています。清流寺のブログにその様子をご報告させていただいていますので、興味のある方は一度ご覧になってください。
 この12年間のご弘通ご奉公は山あり谷ありでしたが、辛い時、泣いている時にそばで支えてくれたのは夫のアラスターでした。
 一度、香里さんがご信心を諦めてしまうのではという事態があり、私が泣き崩れたことがありました。その時、アラスターが「みっちゃん、一緒にお看経しよう」と言って私の手を引っ張り、御宝前の部屋に連れて来て、1本お看経を一緒に上げてくれたことは、今でも忘れられない思い出です。本当に有難かったです。
 そして、このアラスターとの結婚を決心させてくださった長松ご住職には一言、御礼を申し上げさせてください。本当にありがとうございました。
 最後になりますが、長谷川御導師、由里子奥様、平松信応師、清流寺の御講師方、ご信者のみなさまには常日頃から私たちのことを心に掛けていただき、本当に有難い思いでいっぱいです。
 長谷川御導師の突然の御遷化には正直、心が沈みました。御導師はいつも優しく、私たちのわがままを受け入れていただいてばかりで、これからやっと御恩がお返しできるぞと思っていた矢先でしたので、本当に辛くて悲しいです。でも、こんな状態の私たちでは御導師にも安心していただけないので、御導師に「よくやったな」と褒めていただけるようなご奉公を少しでもさせていただけるよう、日々邁進していくことをここに誓います。
 御導師、クイーンズランド組はがんばります。どうぞ見守っていてください。
 以上で体験談を終わらせていただきます。ありがとうございました。