ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年01月01日
大阪・信光寺 講有巡教として創立80周年と日相上人27回忌法要を営む
第2支庁南大阪布教区信光寺(住職・岡居日長師)では、昨年11月9日、高祖会に併せて創立80周年記念法要、権大僧正日相上人御27回忌法要を奉修させていただいた。第一座は本寺清風寺・西村清良御住職奉修により創立80周年の御礼言上を上げさせていただき、第二座は講有上人のご親教をいただき、信光寺第三世・信唱寺開基・権大僧正日相上人御27回忌を併修させていただいた。

 信光寺は昭和7年に清風寺第8区連合長・土肥繁栄氏、副連合長・大森光太氏が責任講師・永城清珠師とともに日淳上人の許に西成親会場の創設を願い出たのが端緒。その後、日淳上人よりお許しをいただき、現在の地に240坪を購入して庫裡を建立。昭和9年7月21日に御本尊を奉安し西成親会場創設。その後、昭和16年1月に初代担任の永城清珠師がご遷化。昭和18年、「西成事妙支部」と分支部式執行の折に岡居清事師(後の日相上人)が第二代担任となり、第二次世界大戦を経て昭和22年「淳徳山信光寺」と寺号公称。以来、日相上人は昭和29年に隣地約260坪を購入して本堂建立、昭和56年泉北親会場(後の信唱寺)創設、昭和57年会館建立と着実に弘通拠点の整備を断行し、昭和61年の住職交代までの43年間、信光寺の第三世住職、末寺信唱寺開基として弘通の基盤を築かれた。

 今般、西成親会場創設以来80年を迎えるに当たり、日相上人の御27回忌と時期を同じくした為、高祖会に併修させていただいたのである。高祖会当日は生憎の雨天。日相上人の御27回忌の記念として建立させていただいた日相上人頌徳碑の講有上人による除幕式も取りやめとなり、信徒一同は無念の涙を飲んだ。第二座で講有上人は御法門に先立ち、「本日が晴天であったならば思い出に残らなかったと思うが、この雨天のお蔭で本日の法要を忘れることはないだろう」とお言葉を賜った。

 寺内では4月から5ヵ月間にわたり教化促進口唱会、9月から2ヵ月間は参詣目標達成祈願口唱会に切り替えて朝参詣後に奉修し、高祖会当日までに本年度教化誓願45戸のところ46戸成就、参詣は寺内参詣目標800名のところ770名、他寺院より118名の参詣をいただき総計888名であった。

 信光寺は昭和50年より38年間続いた教区を信徒の移動等により地域性が乱れたのを、3年間かけて区画再編成を準備して新たに167名の新役中を選出、平成25年12月1日より新教区制でスタートしたばかりであった。新教区制開始当初は、これまでの旧教区との違いもあり御講奉修も当番ご奉公等にも戸惑いがあったが、初年度にして九教区中8教区まで高祖会当日までにお教化が成就させていただけたのも偏に、御講有ご親教の高祖会を目指してご奉公をさせていただいたお蔭で、各教区が早期に異体同心になれたものと感得し、随喜感激の高祖会であった。