ほんもんぶつりゅうしゅう
2015年06月02日
東京・遠妙寺 教講25名がフィリピンへ団参 —木村日覚導師ご唱導により4ヶ所での法要を営む—[第2/2回]
昼食後、次はアクラン州アルタバスの小学校『CABUGAO ELEMENTARY SCHOOL』に向かいました。約2時間半の道のりでした。目的は同じで慰霊碑の開眼法要です。

 この地は遠妙寺教務部の現地人で得度した、アバヨン彰橋師の父親の故郷という御縁から台風被災の支援活動をさせていただいた地域です。以前現地の被害状況の確認に行った際、アバヨン彰橋師の親戚が何軒か入信されました。その後、2014年3月に、この地でも救援活動をすることが決まり、近隣500件に救援パックの配布をいたしました。なおその際、その500人の前で無始已来の言上をさせていただき結縁をさせていただきました。

 またこの地でも信徒宅の屋根の修繕費用や小学校の教室の屋根の修繕費用を義援金として送らせていただきました。なおここアルタバスでは、その後、2014年11月に遠妙寺にて奉修された日玄上人27回御忌の報恩ご奉公として、現地の黒柳彰明師、アバヨン彰橋師がお教化に奔走、わずか数ヶ月で100人以上が入信された地域でもあります。

 午後3時から開眼法要開始。小学校の児童と保護者、先生、現地ご信者など総計約500名もの方が参詣されました。式次第、挨拶、寄付等の内容はサラの小学校と同じとなります。余談ですがサラとアルタバスの慰霊碑の寸法に違いがありますが、こちらの慰霊碑が発注どおりの寸法です。(高さは台座を含め約2.45メートル)南国のお国柄か何かの行き違いか、サラの慰霊碑の方がだいぶ大きくなっています。(高さ:台座を含め 約3.5メートル)またここアルタバスの慰霊碑は、予定外で校長先生の手作業により下部にタイルが貼り付けられています。

 なお、私たちが出発したイロイロ市のホテルからサラ、そしてアルタバスへと移動したルートは、かつて日本軍戸塚部隊が討伐のためにたどったルートと重なり、とくにサラは討伐重点地域、アルタバス付近もそうで、アバヨン師の祖父の兄弟は、日本兵の手によって命を落とされたそうです。

 また、平成22年6月13日にパナイ島にて初めて御本尊が奉安され戦没者のご回向がなされたその日の夕方、旭日旗の中でも日章が旗竿側(左側)に寄っている大日本帝国海軍の軍艦旗のような不思議な夕陽が現れたことや、今回の団参一行が帰国した直後、アルタバスの沖の方にあるシブヤン海にて1,000人以上の乗員がなくなった戦艦武蔵が海底から発見されたとのニュースがありましたが、これらの出来事を考えますと不思議な因縁、何かに導かれているような感じがします。

 上行所伝の御題目の慰霊碑はあくまで台風犠牲死者の為にこのたび建立されましたが、たまたま終戦70年という節目の年に、このようなご奉公が成就したことは、何かそこに意味や意思を感じると共に、全国のご信者の中にも、フィリピンで命を落とされたご家族、ご先祖がおられる方が大勢いらっしゃることを思いますと、今後もフィリピンとのご縁を更に深め、フィリピンと日本の架け橋となるご奉公を続けていかなくてはならないと感じます。

(報告 遠妙寺教務部 河野彰勲)


〔追記〕以下は英文で記された慰霊碑の碑文の日本語訳です。

『この慰霊碑は、2013年11月、当地を襲った台風ヨランダの犠牲者に捧げるもので、仏教教団、本門佛立宗(HBS)とその信徒の寄付、さらに小学校の協力により建立されました。碑には、南無妙法蓮華経と記されています。そこには、仏陀の魂、慈悲の心、そして人々の苦痛や苦しみを取り除く全ての救済力が込められています。この文言をお唱えすれば、生きている者のみならず、亡くなった人々も苦痛から解放され安らぎが得られると、仏陀は説かれました。この碑の建立によって、小学校の児童、教職員ならびにこの地域の全ての人々が、将来、起こり得る様々な災害、事故、紛争などの被害から仏陀によってお守りいただけますよう、お祈りいたします。 2015年2月22日 本門佛立宗』