ほんもんぶつりゅうしゅう
2014年04月21日
本山宥清寺 門祖日隆聖人御開山会式が奉修される
去る4月20日(日)、本山宥清寺において門祖日隆聖人御開山会式(春のお会式)が奉修された。一週間前からの予報は当日の前後を含めて雨という、なにより懸念された天気であったが、山内日開講有上人、梶本日裔、小山日誠両講尊上人、伊田日雄上人のお徳を頂き、また連日の本山での無事晴天奉修の祈願口唱会の甲斐もあって、奉修時は見事に一滴の雫も額を打つことはなかった。

 第三座の式典では、昨年度に10人のお教化を達成されたご信者お二方の表彰が行われた。1人で10人もの人をお教化することは並大抵の信心前では無理なことである。このことがどれだけ大変な苦労を伴うかは、ご信者であれば皆分かることであろう。講有上人より色紙の贈呈が行われた瞬間、本堂内には自然と大きな拍手喝采が起こった。

 「教化」とは、これまでの誤った道を転じ、正しい仏教の道へと教え導くことを意味する言葉。つまり、他の人に本門佛立宗の伝える御題目をお勧めし、真のご信心を始めていただくことを指す。

 法華経の如来寿量品第十六には「常説法教化」という御文がある。「量り知ることの出来ない遠い昔から、いつも法を説き、無数の衆生を教化し成仏せしめた」との久遠本仏のお慈悲が述べられている。つまり、この世の全ての人々に真実の教えを説き、教化し、成仏せしめることが本仏のご本懐(本意)なのだ。我々もその真似をさせていただき、1人でも多くの人にこのご信心を勧めることが、なにより仏様にお喜びいただくことであり、また同時にこれ以上ない大きな功徳を積ませていただく行なのである。

 もしご信者が、常日頃からこの「教化」という言葉を口にし、心に懐き、身に行うようになればもう一人前の信者ということ。常にこの御法の素晴らしさ、ご利益を頂いたその大きな喜びを世の人々に語りかける——仏道修行とは、煎じつめればこの「教化」ということにほかならないのである。決して自己中心的な欲望・欲求を満たすためだけの信心前が、仏様のご本懐ではない。このことを我々は常に肝に銘じて、日々の信行・ご奉公に励まなければならない。