ほんもんぶつりゅうしゅう
2020年06月01日
各国の佛立教講への励ましのメッセージ  イタリア・スリランカ教区長 福岡日雙
イタリア教区長、スリランカ教区長である福岡日雙師は、コロナウイルス感染拡大がいまだ終息しない中、世界各国の佛立教講に励ましとご祈願のあり方をEメールで発信し続けています。その英文によるメッセージを日本文にてご紹介します。

「壺中に天あり」
この言葉は中国の寓話から来ています。昔、後漢の時代、如南という町に費長房という人がいました。ある日、彼が楼上から大通りを見るともなく眺めていますと、老人が市で薬を売っている姿が目に入りました。
見ていると、この老人は店じまいを終えると店先に掛けてあった壺の中へヒョイと入りこんでしまったのです。そこで費長房は翌日、老人のところへ行き、「おい、老人、昨日はどうした。見てしまったぞ」と言うと、「見られたのでは仕方がない。あんたに見せてやろう。ついて来なさい」と言いました。
二人で壺の中に入ってみると、壺の中はまことに広大な新天地。費長房はそこでしばしの間、異境のムードを楽しみ、また地上へ還ってきたというお話です。
この寓話は人それぞれが自分という壺の中に、自分にしかない天、即ち自分自身の世界を持ちなさいということを教えているのです。
では私たち佛立信者にとって「壺中に天あり」とは、どのような天なのでしょうか。それは「佛立信仰」です。
ご信者の壺の中、すなわち心の中に「ご信心」という世間の人にはない雄大な世界が拡がっているからこそ「市」、すなわち娑婆と呼ばれる世の中で直面するさまざまな困難、苦難に香風、すなわち御法のお力をいただいて乗り越えていくことができるのです。
コロナウイルス感染がいまだ終息しない娑婆世界にあって、ご信心という「天」をいただく私たち佛立信者は、世間の人とは次元の異なる処し方、すなわちご信心を軸にした処し方を示していきたいものです。

日扇聖人御教歌
妙法を持つ身なれば釈迦諸仏 菩薩諸天の常に守護あり

娑婆という処をかえず名をかえて 浄土にすめる人やたれなる

 こういう時期だからこそ一層信行に心がけ、御法さまから尊い清らかな風を送っていただき、コロナウイルスを吹き飛ばしていただくご守護をいただきましょう。
昔、中国の北部の砦(とりで)の近くに塞(さい)翁(おう)という老人が住んでいました。
 ある日、塞翁が飼育していた馬が逃げ出してしまい、いなくなってしまいました。労働力として使っていただけに困りはてていたところ、数日たって馬は戻ってきた上、なんと立派な駿馬を1頭共連れしていたのです。
塞翁が「これはラッキーなことだ」と喜んだのはもちろんですが、塞翁の息子も駿馬を乗りまわせることになり大喜びしました。
 ところが日ならずして息子は落馬し大怪我をしてしまいます。塞翁も息子も駿馬を手にしたことを、とんでもない疫病神を招き寄せたものだと悔やみました。
 それから間もなくのこと、隣国の軍隊が攻め込んでくるという情報が入り、塞翁が住む地域の若者は皆、これを迎え撃つ兵士として駆り出されることになりました。
 ところが落馬による怪我が完治していなかった塞翁の息子だけは、多くの若者が戦死してしまった中、徴兵を免れ命を落とさずに済んだのでした。
 この「人生、万事、塞翁が馬」という逸話は、「吉凶は糾(あざな)える縄の如し」という諺と同じで、禍福はからみあっており、思わしくない出来事も長い目で見れば喜ばしい状況へと転じていくようになるものだという教訓を説いているのです。
 このような出来事はだれの身の上にも起きるものですが、法華経の行者の身の上に起きるそれは、たんなる偶然によってのみ起きるのではないのです。
 佛立信者として信行に励む私たちの場合は、御本尊の中にまします仏、菩薩、諸天善神のご加護をいただいて、思わしくない状況から抜け出し、それをよい状況へと転じていただくことができるのです。
 日扇聖人は、
「私たちの住む世界はけして安穏な世界ではありません。さまざまな苦しみに満ちた世界で、しかも逃れる処もないように思えます。しかしながら御法のお力添えをいただくことさえできれば、悪しき状況を好転させるというお計らいをいただくことができるのです。」
と説いておられます。
 では、そのために私たちはどのような心がけを持って日々を暮らしたらいいのでしょうか。
1、私たちの心に備わる悪しき罪障を消滅し、定業をよく転じていただけるようできるだけ数多く、心を込めて御題目を唱えさせていただきましょう。
2、自分のことのみならず、他の人の幸せをも祈りましょう。この心がけがあなた自身の運命を好転させる力となるのです。
3、御法門をできるだけ数多く敬い、随喜の念をもって聴聞させていただきましょう。
4、世の人を羨やんだり、恨んだりせず、物事をよいように受けとめましょう。
 日本の諺に「石の上にも3年」とあります。これは「少なくとも3年間は一つの事柄に打ち込んでみなさい。きっとなにかを成し遂げることができます」という意味です。
 このたびの苦難を乗り越えるため、お互いに根気よく信行に励ませていただきましょう。
 日扇聖人は以下にように説いておられます。
「私たち信者は苦難多き娑婆世界に在りながらも、色鮮やかで匂芳しい寂光の蓮の花を愛でる境地に到りたいものです。
 同時に、他の人にも苦難を乗り越え、寂光に身も心も置くことのできる道を教えてあげたいものです。」
 日扇聖人は、
「心の中にご信心の眼(まなこ)が備わったならば、この娑婆世界がそのまま寂光浄土なのだと感得することができるのですよ。」
とも説いておられます。
 お互いコロナウイルス感染による苦難の状況を御題目口唱に心がけつつ乗り越え、佛立菩薩として互いに励まし合っていきましょう。