ほんもんぶつりゅうしゅう
2020年06月01日
コロナ時代に祖師いませば  講尊・小山日誠上人よりのおことば
祖書に拝する鎌倉時代
お祖師さま日蓮聖人がご弘通遊ばされた鎌倉時代は、現代よりももっと恐ろしい災害が続いて起こった時代でした。
お祖師さまの御書の中で一番有名な「立正安国論」という御書(御年36歳)は、次のようなことばから始まっています。
「旅客来リテ嘆(ナゲ)イテ曰(イワ)ク、近年ヨリ近日ニ至ルマデ、天変地夭(テンペンチヨウ)・飢饉(キキン)疫(エキ)
癘(レイ)、アマネク天下ニ満チ、広ク地上ニ迸(ハビコ)ル。牛馬巷(チマタ)ニタオレ、骸骨(ガイコツ)路ニ充テリ。死ヲ招クノ輩(ヤカラ)、スデニ大半ニ超エ、之(コレ)ヲ悲シマザルノ族(ヤカラ)、アエテ一人モ無シ」
(昭和定本209頁)
これは、お祖師さまが誇張してお書きになったものではありません。
当時の史料を見ても
●正嘉元年には2月に京都で大地震。
●4月5日、京都は大雨洪水。鎌倉に大地震、神社仏閣、人家はすべて倒れ、山は崩れ、地面は裂けた。史家の推定によれば、鎌倉の人口30万のうち10万人がこのために死亡した。
●次の正嘉2年、春には烈風暴風が起こり、初夏になっても寒さで苗が育たない。
●7月には炎天(えんてん)旱魃(かんばつ)で五穀は枯れた。
●8月には大暴風雨、続いて大洪水。そのために全人口の半分は死を迎えた。
●この翌年、正元元年には手のつけられない悪疫(流行病)がはやり、難民は増え、諸国には盗賊がわき起こった。
●京都では、若い尼僧が飢えのために死体を食べるという地獄の有様。
以上は当時の「吾妻鏡」にも詳しく記されてあります。
当時の北条幕府は諸宗の僧に命じて災難除滅の祈祷をさせますが、災害はますます盛るばかりです。
お祖師さまはこの有様を深く悲しまれ、鎌倉小町の辻説法でも、日本国中の謗法がこの大災害を起こすのだと、折伏され、謗法の信仰をやめて法華経の正法に帰依をしなければ、ますます大災害が起こるぞ、と幕府や諸宗世間を折伏されましたが、他宗の僧たちは〃この天変地夭(てんぺんちよう)を日蓮はよろこんでいる。日蓮の呪詛(じゅそ)によって、災害は起るのだ〃と宣伝して廻りました。
お祖師さまは、世間の謗法が収まらなければ、更に恐ろしい①天変地夭②日本の国が内乱で二つに割れる③他国から日本国が侵略される。
このために、「国、定メテホロビナン」と思し召され、これを「立正安国論」として幕府諸宗を折伏されたのです。

それから800年
現代の国内、海外は「新型コロナウィルス」という、いまだ人間が出値ったことのない、新しい菌のために、たくさんの方が罹患し、亡くなっています。
その予防のために学校も会社も店も閉じ、ひたすら家に篭りなさいと自粛を求められている有様です。
この今の世にお祖師さまがお出まし遊ばされたならば、どの様に私ども佛立信徒にお示し下さるでしょうか?
恐らくお祖師さまは、「佛立信徒のご奉公が足りないために、世界中がコロナ渦に苦しんでいるのだ。もっと信心を強盛にして、世の不信者を折伏教導しなくてはだめではないか」、とお叱りくださるに決まっています。
私たちは国の命令で、外出集会は自粛ということから、やむを得ずお寺参詣も御講奉修も、御法門聴聞もできず、従って佛立信仰の本筋もわかりませんから、世間の人々と同じように、この災害に恐れおののいているのが今の我々です。

世間の人と同じで良いか
お寺にお参詣できなければ、家庭のお看経でこのコロナ災害を終息させるご祈願を必死にさせていただきましょう。
御法門が聴聞できなければ、宗内の刊行物を書棚から取り出して読み、信心増進を図りましょう。
世間の人びとのようにコロナ災害を長期休暇といってのんびり楽しんでいたのでは、本門佛立宗もともに衰微、つぶれてしまいます。
人が動かない時にこそ、信者はご弘通の活動をしましょう。そのために郵便や電信電話という文明の利器があるのです。
本当のお祖師さま日蓮聖人の信者ならば、この禍(わざわ)いを幸福に転ずるためにご弘通に励む時です。
人々は私どもの救いを待ち望んでいます。この大使命を忘れてはいけません。