ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年04月01日
佛立人のコロナ禍対策 アフターコロナを見据えて
昨年、突如として発生した新型コロナウイルスは、瞬く間に全世界を席巻し、いまだに決定的な治療法が見つからないまま流行を繰り返している。人々の生活様式も、あらゆる面での変革を余儀なくされており、これはご信心の面においても、また然りであろう。
 そんな中、佛立宗として「withコロナ、afterコロナ」を、どう捉えるべきか。どんな対応が求められるのか。当紙に毎月『新 佛立入門~日蓮大士ご降誕800年記念シリーズ』を連載いただいていると同時に、世界各国の佛立宗教講に対し「佛立人としてのコロナ禍克服のあり方」を発信し続けている神戸・香風寺の福岡日雙師に忌憚のない意見を述べていただいた。


 アフターコロナを見据えて

 編集長 コロナ禍の中、佛立宗はどうあるべきか語っていただければと思います。
 
 福岡師 コロナについては、やはりアフターコロナ、コロナ終息後のご奉公を今から見据えておかないと、終わってからさてどうしょうでは、色んな面で手遅れになると思います。 

 編集長 まだ先の見通せない今からアフターコロナを考えておかねば、ということですね。

 福岡師 宗内の各寺院のコロナ禍対策やアフターコロナの対応のあり方は、それぞれの寺院の規模や立地条件によって当然、異なってくるでしょう。
 コロナの対策としては、お寺をロックダウンせざるを得ない、あるいは御講はお寺で、あるいはリモートでといろんな方法がありますが、その結果、あと(コロナ後)何が出来なくなるのか、何が廃(すた)れてしまうのか、本来の佛立宗の活動が低下してしまわないか。それを今のうちから見据えた対応を考えて行くべきですね。

 佛立のあるべき姿

 編集長 佛立宗の場合これまで「3密」状態でご奉公が展開されてきましたが、それが(3密)がダメとなると。

 福岡師 釈尊の説かれた御法門の中で、ものの見方、考え方、生き方をこういう形で捉えなさいという所謂(いわゆる)「四諦(したい)の法門」が説かれています。これを分かりやすく譬えをあげて言えば、お医者さんの治療法ですね。 
 まず、病に罹(かか)った人を診断・診察し現状がどうなっているか調べ、何が要因だったのかを突き止める。これが「苦諦(くたい)(人間の根本苦)」と「集諦(じったい)(苦を生む根本)」。そして、患者さんを健康な状態に戻すことを目標にする。これが「滅諦(めったい)(理想の境地)」。そのためにどういう治療をすべきか考える。これが1番大事な「道諦(どうたい)(苦を滅する方)」。
 コロナの問題も釈尊の説かれた御法門に随(したが)ったやり方で考えて行くというのが基本線だと思います。自粛すべき点はしっかり自粛しないとダメ。でも萎縮してはいけませんね。我々が家に籠もってしまうというような時の過ごし方をしたら佛立宗じゃないと思います。
 最も大事なポイントは「四諦の法門」でいうと「道諦」。つまり本来あるべき宗門の姿にいかにして戻していくかを考えておくということなんです。

 佛立は往詣(おうけい)と親近(しんごん)

 編集長 アフターコロナの1番の課題点は。

 福岡師 アフターコロナの1番の課題点は参詣の回復ですね。御教歌に「信行は足にまかせて参詣し 口にまかせて南無妙法蓮華経」とありますが、我々の佛立宗は参詣ですからね。それが萎えてしまうということは佛立宗の衰微に繋がっていくと思いますね。やはり佛立宗は往詣道場、御本尊に親近。家に籠もると頭もボケてくるし、足も弱る。それと信心も弱ってきます。

 お参詣には「往詣の功徳」と、もう1つ「菩薩囲繞(いにょう)の功徳」があるんです。菩薩に囲まれるという環境に身を置く、お互いがお互いによい縁という環境になること。そしてご信心の増進を図る。リモートはリモートでメリットは大きくありますが「菩薩囲繞の功徳」は生まれてこないのです。アフターコロナではそれをもう1度元に戻さないと。
 開導聖人は「講元、中川氏の曰く やはり御寺へは出て人さまの信行を拝見すれは大いに増進するもの也」(扇全11巻175頁)と仰せです。
 やっぱり直接会ってご信者さん同士が互いに刺激になると、「往詣の功徳」と「菩薩囲繞の功徳」が生まれるのです。リモートではその功徳はいただかれませんからね。それともう1つは、リモートでやっていること(参詣)が当たり前になると、ご信者さんがお寺に行く足が鈍ると同時に教務の教導力、指導力が低下します。
 教務もご信者と直接、共にご奉公することによって鍛えられているわけなんです。ご信者さんと直に接触しながら緊張感を持ってご奉公させていただくことによってね。それがリモートになると緊張感がなくなりどうしても安易になります。何か書いてあるものを読んでいるだけみたいにね。相手の仕草やら、表情やらを見てね、そういう緊張関係が無いでしょ。だから教務さん自身も教務力が低下してしまうと思いますね。その辺のことを考えますと、元の往詣の状態に戻すと言うことが問われる思います。

 編集長 そうなると世間と違う対応・対策が必要ですね。

 福岡師 ご信者さんの家に嫁いでこられたお嫁さんが、最近ご信心に目覚められ毎朝お参りさるようになったんです。この人が「私もコロナに罹るのではという不安はあるけど、もっと怖いのは私がコロナに感染していて他の参詣の人に移してしまうということがあればもっと怖い。だけど尻込みしていてはご奉公できません。お参りできませんと籠もってしまったんでは、折角、ご信心に目覚めた意味が無い。だから御題目をお唱えしてお計らいをいただいき乗り越えさせていただこうという考え方になっているんです」と。
 これ幸いにと引っ込んでしまうご信者もいると思いますが、この女性は本当に前向きな乗り越え方ですね。それに応えるために、お寺としては長椅子1つに2人座ってもらうというソーシャルディスタンスをし、空気清浄機を入れて、窓や扉も開けてといった対応をしています。

 アフターコロナを考えれば世間とは違う佛立宗らしい対応・対策、つまり3密を避けつつ共に口唱、聴聞させていただく場を設けるということが大切です。
 だから私のお寺では今年は「往詣の功徳」ということをご弘通方針にしまして、年間道場100回参詣、200回参詣としてね、朝参詣であろうが、御修行であろうが、昼や夜の都合のよい時間の参詣であろうが、とにかく1回お参りしたらハンコを押してもらう。それを特別にこういう時期に良くお参りしていただいたと、表彰しますと、こういう形で新年の元旦から始めております。そんな形で参詣ということを常に頭の中に入れて、今まで以上に参詣を意識しないと参詣の減は戻らないと思います。

 編集長 本人はお参りしたいけど、家族がこんな時に何でお寺にお参りにいくのかと。

 福岡師 そういう事も考慮しておく必要があるかもしれませんね。私なんかも自分の判断、コロナの対応が正しいのか正しくないのかと言うと、世法的に言えば正しくないかもしれません。でも世法的通念に流れすぎるとご奉公はできないわけですよ。
 そういう弱気の姿勢だけを残念ながらご信者さんは受け継ぎますね。「攻めの養生」ならぬ「攻めのコロナ対策」が求められるでしょうね。
 これは正解というわけではないですよ。お寺毎に事情がありますからね。だけどこういう時期に強気で乗り切れたら、お寺の底力が出てくると思いますね。コロナの時に頑張ったやないかとね。(つづく)