2017年06月01日

海外弘通だより ブラジル編 私が得度に至るまでの経過③ 日教寺所属 吉川妙養

もし、私が既婚女性だという理由だけで、得度のお許しがいただけなかったとしたら、私はご信心をなくさずにいられるだろうか? 日本で女性のお教務さんにお会いしなかったのは、女性は教務さんになれないからだろうか? 女性が男性と平等であることを禁ずる宗教を、どうやって信じていけるだろうか?
そこで私は百本祈願を始めました。お師匠さまは私にお寺で百本祈願をするようにおっしゃり、私は喜びをもってこれをさせていただきました。誰も私がなぜ百本祈願をしているのか知らなかったにも関わらず、日に日により多くの人がご祈願に加わってくださいました。合わせて七人か八人の方が、同じように一度に何本ものお看経をしてくださり、とてもありがたかったです。
そして高崎御導師から見習いに入るお許しをいただくことができ、今度は家族との話し合いをすることになりました。佛立宗の信者ではない母は、私が教務さんになるといっていることを、恐ろしく思っていました。
母は私が洗脳されてしまったと思っていたのです。同じことが法灯相続をし、家族から二人のお教務さんを出していた夫の家族との間でも起こりました。
正直なところを申しますと、なぜ佛立宗には女性の教務さんがほとんどいないのか、また私の決断になぜこうもみんなが驚くのか、私はいまだにわかりません。私は女性によって育てられたのであり、私の能力が男性のもつ能力とは違っていると考える理由が私にはわかりません。
私の人生は、彼ら男性教務さんの人生より価値が重いわけではありません。私は、私の先輩の教務さん方がされたことと比べて、特に驚くべきこと、より賞賛されるようなことをしているとは思っていません。私が投げうったものは、男性の教務さん方が投げうたれたものと比べてなにも大きくはありませんし、私の決心は、男性教務さんがされた決心より価値があるわけではないのです。ありがたいことに、今では家族はみんな、私の決心に納得してくれています。
私は見習いの修行を2016年の3月15日、29歳で始めさせていただきました。その日は御牧日解御導師の祥月ご命日で、それで12月4日、私は御牧御導師のお名前から妙養と僧名をいただきました(御牧御導師の僧名は淳養とおっしゃいます)。御牧御導師
はブラジル佛立宗の発展に多大な貢献をなさった方です。
見習い期間中、お師匠さまは私を他の見習いと同様にお扱いになりました。私の入寺から数週間後、他の方が見習いとしての修行を始められましたが、数ヵ月後、この方は教務の道を断念されました。ですが私は、この方がこの日教寺で日々を過ごしたことは、私にとってご利益であったと感じています。私たちは友人となり、特に最初の数ヵ月、私が最初の試練に直面したとき、彼は私を大いに助けてくれたのです。
私の入寺が正式に認められた直後、私は妊娠をしていることがわかりましたが、3ヵ月後、その子を失ってしまいました。ほとんどの人にとってはこれは悲しい現実だと思われるでしょうが、私はこの出来事がともかくも私たち夫婦を強くしてくれたと思っています。私たちは、今は前よりもよくなっています。
このことは、私たちに大きな傷跡を残しましたが、私は物事は偶然起こるものだとは思いません。いつの日か、同じ体験した私だからこそ語れる言葉を必要とする女性が現れることを、私は知っています。ですから、私は悲しいとは思いません。この体験は私を強くし、教務の道を歩み続ける理由を与えてくれているのです。
得度式を終えてからも、私は自分が学びの過程にあるように感じています。お寺では毎日、何かが起こります。毎日、何かから学びを得ることができます。毎日、何か新しいことに気づくことが可能なのです。私はもう大人ですので、あらゆることをよく観察することで、(自分の中に)違いを生みだそうと努めます。そして、(つねに)力一杯の努力を続けていくよう努めていきます。
これらの学びの機会を確かにいただきながら、私はこの一生の一日一日を、最期の日まで御法さまにお捧げすべく、務めてまいりたいと思います。私は、仏さまのみ教えを人々にお伝えできるようにならないといけないと感じています。私はすべての人に、私が見ているもの、私たちたちの人生のひとつひとつのことがそれぞれ具体的なお計らいであり、ひとつひとつの出来事が感謝に値するということを、わかってほしいと願っています。
私の無知さにもかかわらず、誰かたった一人にでも、このことを伝えるお手伝いができたなら、(私がこの教務道に人生を捧げた)その価値があったのだと言えるのです。
                               (了)