ほんもんぶつりゅうしゅう
2021年07月01日
門祖会 先住御一周忌と小林淳時師の住職就任式を挙行
5支・東京房総布教区小岩・妙要寺では、去る4月25日、春の穏やかな晴天のお計らいを頂戴し、門祖日隆大聖人御開山会と妙要寺第五世住職要宣院日與(にちよ)上人御一周忌、小林淳時師住職就任式を、本寺・小松川・清秀寺・岡本日苑上人のご唱導を頂戴し、勤修させていただいた。
この日、東京都では、3度目の緊急事態宣言が発令されたにもかかわらず、賑やかに布教区及び清秀寺門末教講のお参詣を賜り、無事奉修させていただくことができた。
そもそも妙要寺法燈の縁由は昭和14年1月、荒木日(にち)弘(ぐ)上人が東京江戸川区小岩方面の弘通発展を図るため、寺院建立の発願をされたことに始まった。翌15年に当時の小岩町に土地を入手し、布教所としてその第1歩を標し、同17年には建物を拡充し、本門佛立講・小岩妙証教会と改めた。
昭和21年、戦中戦後の混乱期にありながら清流山妙要寺と寺号公称し、荒木日弘上人を開基と仰いだ。その後、2代目住職・江林院日(にっ)布(ぷ)上人、第3世・小林秀英講師が住職位を継承し、昭和27年に現在地に道場を移転。翌年に権大僧正・信澄院日濤(にっとう)上人が第4世住職に就任された。
その間、大本堂・会館の建立等、数多の変遷を経て日濤上人は住職位を退任。平成19年、要宣院日與上人がその任を継承。日與上人は、およそ12年半の住職在位を以て去る令和2年4月26日、法寿93歳を以てご遷化遊ばされた。その後、小林淳時師が妙要寺第6世住職を拝命することとなったのである。
小林淳時師は令和2年、本山宥清寺高祖会にて、御講有上人から住職辞令を拝受したが、それに先立つ同年の妙要寺門祖会開導会合同奉修時、奉修導師の宗務副総長・西村日要師に住職継承言上式をお勤めいただいていた。加えて今回は、あらためて本寺清秀寺・岡本日苑上人に住職就任式をお勤めいただいた次第である。
住職辞令を岡本日苑上人から伝達された小林新住職は「妙要寺の住職位を受け継ぐに当たりコロナ禍においても法灯を守り抜く覚悟をもって、ご弘通ご奉公に精進させていただく」と挨拶された。
なお、密を避けるために本堂内の椅子を減らしたことから、講堂にプロジェクターとスクリーンを設置し、法要の模様を中継させていただいた。参詣者からは「ゆったりと参詣できた」と、おおむね好評であった。検温やマスク着用を促し、ご供養はお持ち帰りになり、参詣された教講に充分なお給仕ができない歯がゆさを覚えながらも、新しいご奉公の在り方を模索しながら、今後も教講一体でご奉公させていただきたい。